2010年8月4日水曜日

イネ裁判とは何か:大平原の小さな事件――21世紀の悲劇の誕生――(2010.8.4)



大平原の小さな事件――21世紀の悲劇の誕生――

はじめに
 これは5年前、日本有数の米どころ、新潟県の高田平野の一角で起きた事件とその裁判の記録です――カラシナディフェンシン産生の遺伝子組換えイネの野外実験とその中止を求める裁判。遺伝子組換え作物について知り、関心を持つ人はいても、この具体的な事件の中身を知っている人は殆どいないでしょう。その意味でこれはとても小さな事件です。しかし、私がこの事件を取り上げるのは、20世紀の人類と地球にとって最大の脅威が、無生物(物質)のミクロの世界の操作により可能となり、出現した核の問題(ヒロシマ・ナガサキにせよ、チェルノブイリ・スリーマイル島にせよ)だとすれば、21世紀の最大の脅威は、生物のミクロの世界の操作により可能となり、出現する生物災害だと思うからです。とはいえ、現在までのところ、この事件によって人類と地球に差し迫った危機が発生したという事実は確認されていません(正確には、確認のために調査は実施されていません)。しかし、生物災害に共通するように、私たちの目に見えないところでひそかに進行し、「災いは忘れた頃にやって来る」可能性があります。そして、生物災害は目に見える形で発生したときには取り返しのつかない大変な被害をもたらします。いつか、私たちも、ヒロシマ・ナガサキに匹敵するような、チェルノブイリ・スリーマイル島の事故に匹敵するような生物災害を経験したときには、きっと、二度と生物災害を起こすまいと固く誓うでしょう。しかし、そんな悲惨な体験を通過しなければ生物災害と正面から向かい合うことができないものでしょうか。既にヒロシマ・ナガサキを経験し、チェルノブイリ・スリーマイル島を経験した人類は、依然、それほど受身で、無知にとどまるのでしょうか。
 この小さな事件は、生物災害のヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリ・スリーマイル島を経験する前に、人類がどのように生物災害と向き合ったらよいか、それを考えるための貴重な素材を提供するものです。というのは、この事件の中に生物災害の基本要素(何が原因で、開発者は生物災害の発生を見落としたのか。何が原因で、開発者は生物災害の危険性の評価を誤ってしまったのか。どういう人たちが野外実験の強行を支援し、生物災害の発生に貢献したのか等)がすべて出そろっていて、ここから今後あり得る悲惨な生物災害を未然に防止するヒントを見出すことができるからです。この裁判の原告や支援の人たちは「高田は生物被爆した」と考え、50年後、100年後の子孫と地球のことを考え、この裁判に関わってきました。その意味で、これはとても大きな事件なのです。

目 次
序言:沈黙する当事者
1、2005年日本の転換:GMOの異端の国から普通の国へ
(1)、世界のGMO栽培状況
(2)、GMOの安全性に関する世界の動向
2、転換の不成功とその原因
  (1)、GMOは世界の足をすくう
第1部:自然界の悲劇の誕生
1、開発者たちの見込み(光と影)
(1)、光:開発の狙いは農薬散布無用の病害に強いイネ
(2)、影1:ディフェンシン耐性菌の出現の可能性は“低い”
(3)、影2:出現するディフェンシン耐性菌の危険性はこれまでの耐性菌と変わらない
(4)、最終結論:野外実験はゴー。国もフリーパス。
2、見込みちがいだった自然界1:耐性菌出現の可能性は極めて高い。
(1)、推理その1:実験室での結果からの推測
(2)、推理その2:抗生物質耐性菌との対比
(3)、推理その3:反論1(品種改良の延長)
(4)、推理その4:反論2(カラシナ畑は平穏無事)
3、見込みちがいだった自然界2:出現する耐性菌の危険性も極めて高い。
(1)、これまでの耐性菌の危険性
(2)、ディフェンシン耐性菌の未曾有の危険性
(3)、理由その1:交差耐性
 (4)、理由その2:遺伝子の水平移動
第2部:人間界の悲劇の反復
1、見込みちがいをただす市民の取り組み
(1)、話合いの思いがけない展開:素朴な疑問と意外な返答と深まる不信感の連鎖
(2)、強行された田植えと市民に残された対抗手段
2、裁判に対する開発者の反応
(1)、普段の口癖と裁判の中で見せた態度
(2)、開発者の事案解明1:全国の百名弱のバイオ研究者の要請書。
(3)、開発者の事案解明2:証拠の切り札は原告が反論できない一番最後に提出。
(4)、開発者の偽装発覚と開発者に優しい裁判所
第3部:世界市民の出現
(1)、共同体の中の科学者と外に立つ科学者
(2)、世界市民としての声:灰谷健次郎氏の遺言
(3)、禁断の科学裁判の行方


序言:沈黙する当事者
1、2005年日本の転換:GMOの異端の国から普通の国へ
(1)   、世界のGMO栽培状況
2005年までの遺伝子組換え作物(GMO)の栽培に関する世界の状況は以下の地図の通りです。オレンジ色の5カ国がGMO95%を栽培生産しており、オレンジ色の斜線の国々はGMOを栽培生産しています。オレンジの点の国々は野外での実験が許可されている国です。ここから、日本の周辺諸国、つまり西の国、韓国、中国、インド、南の国、フィリピン、インドネシア、オーストラリア、東の国、アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンでは全てGMOを栽培生産していることが分かります。その中で日本は、GMOを栽培も野外実験もしない北朝鮮と並ぶ異端の国でした。


                            GMO生産マップ(2005年)
 
 そのGMOの異端の国日本が普通の国に転換を遂げたのが2005年です。この年、日本は初めて、GMOそれも主食であるイネのGMOの野外実験を許可・実施するに至り、ようやく周辺の国々と肩を並べたからです。
(2)、GMOの安全性に関する世界の動向
 他方、GMOの安全性については、これまで、個々の研究者から実験に基づいて様々な問題点が指摘されてきましたが[1]、2009年5月、アメリカの環境医学学会は、動物実験の結果を踏まえて、「遺伝子組換え食品と健康上の有害な影響との間には偶然では済まされない関連がある」、「遺伝子組換え食品は、毒物学の領域で、また、アレルギー、免疫システム、生殖機能、代謝機能、生理学的機能、遺伝子に悪影響を与えるという点でも、深刻な健康リスクを引き起こす」と述べ、遺伝子組換え食品の即座出荷停止を求める声明を発表しました。遺伝子組換え食品が日常的に食卓にのぼるアメリカの事態を、アメリカの霊長類学者・作家のジェーン・グドールは、こう警告しています。
「今やアメリカの子供たちは世界の実験動物になってしまいました。遺伝子組換え食品を食べることで長期的にどんな影響があるのか観察される対象になったのです」
 しかも、この警告は対岸の火事ではありません。日本はGMOの栽培こそしないものの、遺伝子組換え食品の世界最大の輸入国だからです。
2、転換の不成功とその原因
(1)、GMOは世界の足をすくう
その日本がGMOの栽培に向けて大きく舵を切ったのが2005年のGMOの野外実験の実施です。
この野外実験が首尾よくいけばGMOの栽培生産に向けて大きく前進できるからです。それは日本が輸入のみならず栽培においても、世界有数のGMO国に変貌することを意味します。それはこの国の「食の安全」「市民の健康被害」「自然環境の破壊」の行方を決めるターニングポイントともいうべき出来事でした。
その転換点にあたる年に、選ばれてGMイネの野外実験が実施されたのが新潟県の上越市にある北陸研究センター(かつて北陸農事試験場として名を馳せた新潟・長野・富山・石川・福井の北信越5県の研究機関)でした。この由緒ある研究機関で実施されたGMイネの野外実験は、しかし、当初の目論見から大きく外れ、思いがけない大騒動に発展し、とうとう裁判にまで至りました(5年間、今もなお続いています)。
そのため、「GMOは世界を救う」といったキャッチフレーズのもとで、GMOでも世界の普通の国の仲間入りを果たそうとした日本国は最初の行動でつまづき、威信は大きく傷つきました。しかし、国家の足をすくった張本人はほかでもなく、彼らが自ら開発したGMイネそのものだったのです。では、いったい、高々イネの品種改良でしかないと思われていたGMイネが、一体どうやって、国家の一大計画を狂わせし、威信を傷つけることが出来たのでしょうか。そして、これがもっと重要なことですが、その番狂わせは一体何を物語るのでしょうか。
 現在、事件の張本人であるGMイネは国家機密の名目のもとで、沈黙の中に身を置いています。以下は、国家により有無を言わせず出現させられた沈黙するGMイネを取材した報告です。

第1部:自然界の悲劇の誕生
 一般に、冤罪の悲劇はその中で二度くり返される、一度目は見込みの悲劇として、しかし、二度目は国家の威信を守るための意図的な悲劇として。これが冤罪の基本構造です。そして、これと殆ど同様のことが今回の事件でも起きました。そこで、以下、2つの悲劇に分けて上演したいと思います。

1、              開発者たちの見込み(光と影)
(1)、光:開発の狙いは農薬散布無用の病害に強いイネ
それは、開発者たちの次のようなアイデアで始まった――自然界でカラシナやダイコンといったアブラナ科の植物が病気に強いのはカラシナたちが作り出すディフェンシンというタンパク質が病原菌を殺菌するからだ。だったら、このタンパク質を作り出すカラシナたちの遺伝子を取り出して、常にタンパク質を作れと命令するプロモーターとセットにしてイネのDNAに組み込んで、いつもディフェンシンを作り出すように改造すれば、きっと病気に強いイネができるにちがいない。これだったら農薬の大量散布なしで丈夫なイネが育てられ、農薬散布による農民の健康被害や環境汚染も防げるわけで、夢のようなイネではないか。こうして10年以上前に始まった研究で開発された遺伝子組換えイネ(GMイネ)が室内実験の中で、アブラナ科の植物のうちカラシナのディフェンシンを作るイネがいもち病や白葉枯れ病に最も強いことが証明されたとして、開発者たちは、実用化に向けて屋外で実験したいということになりました。
しかし、一般に夢のような開発には、コインの表側(夢)に匹敵する悪夢が裏側に伴います。今回の悪夢は耐性菌問題、つまりディフェンシンという抗菌タンパク質でも死ななくなるという耐性菌の出現でした。菌を殺す薬剤として抗生物質や農薬の多用・乱用による耐性菌の出現は周知の歴史的事実でした。これと同様の事態が発生するのではないか?開発者たちがこの問題を頭に浮かべたのは当然のことでした。事実、その当時、ディフェンシンのような抗菌タンパク質により耐性菌の出現を警告する研究者の警告が発せられていました。そこで、開発者たちはこの問題について、どのような見込みを立てたでしょうか。

(2)、影1:ディフェンシン耐性菌の出現の可能性は“低い”
 まず、彼らは、ディフェンシン耐性菌の出現の可能性について、検討の末次のような見込みを立てました(雑誌「化学と生物」2005年4月号掲載の論文に、これを発表)。
     抗生物質と比べ、抗菌タンパク質の病原菌に対する攻撃は、一般に“穏やか”であること。
     抗菌タンパク質研究の権威とされる研究者が「抗菌タンパク質が病原菌を攻撃する部位は病原菌の細胞膜だが、これに対し病原菌が防御のため細胞膜の構造を変化させる、つまり耐性菌に変身するためには、あまりに大きな遺伝的変化を必要とするので、その可能性は極めて考えにくい(surprisingly improbable)」という仮説を発表していたので、その仮説を採用。
     結論として、野外実験で耐性菌出現の可能性は”低い”と見込んだ。但し、とりあえず”低い”と評価したものの、耐性菌出現の場合に備えて、引き続き、その出現の頻度について、抗生物質と農薬による耐性菌と比較して研究を進めることとする。
重要なことは、野外実験における耐性菌出現の可能性は”ない”でなく、”低い”と見込んだこと、にもかかわらず、野外実験を実施するという結論にしたことです。というのは、耐性菌出現の可能性は”低い”とはいえその可能性を認めた訳ですから、もし耐性菌の出現の阻止を最優先に考えたのであれば実験中止が選択されるからです。ここから、彼らが、最悪の場合には耐性菌が出現してもやむを得ないと考えていたことが分かります。では、なぜ、そのような判断をしたのでしょうか。

(3)、影2:出現するディフェンシン耐性菌の危険性はこれまでの耐性菌と変わらない
それは、もう1つの影である「出現するディフェンシン耐性菌の危険性」について、彼らが抗生物質や農薬の耐性菌などと変わらないと見込んでいたからです。もし彼らが人類の健康被害や地球環境に重大な影響を及ぼす可能性があると認識していたなら、さすがの彼らも腰が引けた筈です。しかし、そのように認識せず、抗生物質や農薬による耐性菌と同程度の危険だと考えていました。だから、抗生物質や農薬による耐性菌の場合に別の薬剤で対処するように、ディフェンシン耐性菌が出現した場合には≪現行農薬に対する耐性菌ではないため、現行農薬で十分対処できる≫[2] その程度の危険性だったら、病気に強いイネの開発の目的のほうを優先しよう、と。こう考えたのです。

(4)、最終結論:野外実験はゴー。国もフリーパス。
2004年11月、開発者は野外実験の承認を得るため国に申請書を提出しました。尤も、申請書には耐性菌について一言も記載しませんでした。記載しなかったのはなぜか。本来、耐性菌問題に本当に自信があれば「耐性菌の出現の余地はない」と堂々と記載した筈ですが、そこまで詭弁はしませんでした。もし国から「耐性菌の出現はどう考えているのか?」と尋ねられたらその時には農薬で対処すると答えて切り抜けようという腹だったと思われます。しかし、国の審査委員たちは、(耐性菌問題の重大を本当に知らなかったのか、それとも知らなかった振りをしたのか不明ですが)誰ひとり耐性菌問題を取り上げる者はおらず、こうして、2005年5月、審査委員の祝福を受けながら[3]、めでたく野外実験の承認がおり、翌月、実施されることになりました。

2、見込みちがいだった自然界1:耐性菌出現の可能性は極めて高い。
しかし、自然界は、開発者の見込みに対し国のフリーパスのように甘くありません。自然の法則に従って情け容赦ない対応しかしません。
では、自然界はどう対応したでしょうか。実は自然はまだ正式な回答をしていません。つまり、被害発生を明らかにしていません。しかし、被害発生までに潜伏期間を経るのが生物災害の常であり、今回もまだ5年しか経過していませんので、現時点では何とも言えません。
そこで、以下に、耐性菌や微生物研究の専門家の人たちの見解を参考にしながら私たちが立てた推理を紹介します。

(1)、推理その1:実験室での結果からの推測
私たちは、耐性菌出現の可能性は”低い”とした開発者の見込みは間違いであり、実際は”極めて”高い”と推理しました。理由のその1は、以下の表1のとおり、既に、実験室でディフェンシンを使って耐性菌の出現が(とくに動物のディフェンシンでは多数の実験例が報告)、酵母やカビでも耐性微生物の出現が確認されており、さらにはディフェンシン以外の抗菌タンパク質を使った耐性菌の出現も確認されており、とりわけ2005年に、上記に記載した、開発者が見込みの根拠にした抗菌タンパク質研究の権威とされる研究者が、数年前の自らの仮説を覆す実験を行った、つまり実験室で抗菌タンパク質を使って耐性菌の出現を確認し、その結果について「もしも何かが試験管の中で起こるなら、それは実際の世界でも起こるでしょう」とコメントした(著名な科学雑誌Natureのニュース)からです。
表1 過去の耐性菌問題の科学的な「常識」
     生物の分類
抗菌手段の分類
微生物
昆虫
植物
酵母
カビ
抗菌タンパク質
ディフェンシン
植物
実験室で耐性菌確認(以下、○と表示)
実験室で○
実験室で○


動物・人
実験室で多数○




ディフェンシン以外
実験室で○




抗生物質
自然界でも実験室でも多数○




農薬
同上
耐病性品種改良
同上
害虫抵抗性遺伝子組換え作物



自然界・実験室
とも○

雑草抵抗性遺伝子組換え作物




自然界・実験室
とも○

(2)、推理その2:抗生物質耐性菌との対比
理由のその2は、自然界での抗生物質耐性菌の出現から、本野外実験でのディフェンシン耐性菌の出現が強力に推定されるというものです。とりわけ、バンコマイシンという抗生物質の耐性菌が大変参考になります。なぜなら、バイコマイシンは、他の抗生物質がつぎつぎと耐性菌の出現により効力を失っていく中で、これなら耐性菌は出ないと言われ「究極の抗生物質」として使用されてきたからです。その理由は、さきほど、抗菌タンパク質に対し耐性菌が出にくいと仮説を立てた理由と同じで、バンコマイシンが病原菌を攻撃するメカニズムは病原菌の細胞壁の生合成を阻害するもので、病原菌が耐性を獲得するためには自ら細胞壁の構造を変化させる必要がありましたが、それは大きな遺伝的変化を必要とすると予想され、そんな大変な変化は起きず、耐性菌は出現しないだろうと予想されたのです。しかし、この予想は見事に覆り、1986年、細胞壁の構造を変化させた耐性菌が確認されました。従って、これと同様の攻撃のメカニズムを有するディフェンシンであっても、菌との頻繁な接触という条件さえ備われば、耐性菌の出現の可能性は十分高いと言うことができるでしょう。

(3)、推理その3:反論1(品種改良の延長)
 これに対して、ごく素朴なものとして次の反論があります。
世間では意外と流布されているのですが、遺伝子組換え技術は「品種改良の延長線」だと考え、安全性についても品種改良と同様に考えるというものです。つまり、遺伝子組換え技術は品種改良技術の延長である。なぜなら、品種改良がDNAの構造の変化を人為的な交配により試行錯誤的に行なってきたものであるのに対し、遺伝子組換え技術はそれを単により合目的的、効率的、意図的に行うものにすぎないから。そして、品種改良による作物では基本的に安全性は確保されているから、その延長線上の技術にすぎない遺伝子組換え技術も同様に安全と考えてよい、と。
しかし、この見解は遺伝子組換え技術に固有の構造的な特徴を全く見落としています。それは、遺伝子組換え技術は単に目的とする遺伝子(以下、目的遺伝子と言います)を改造したい生物のDNAに組み込むのではなく、目的遺伝子がいつタンパク質を作るかを指示するプロモーターの遺伝子を必ずセットにして一緒に組み込むものだからです。その結果、品種改良作物がその作物の指示のもとで目的遺伝子のタンパク質を作るのに対し、遺伝子組換え作物では、目的遺伝子が作物の指示を受けず、それとは無関係に、もっぱら外部から組み込んだ特別なプロモーターの指示に従ってタンパク質を作るのです。例えば植物の遺伝子組換え技術で用いる最も有名なプロモーターはカリフラワーモザイクウイルスと言われる植物に感染するウイルスが持っているプロモーターです。これをウイルスから取り出して植物のDNAに組み込むことにより、常に、どこの細胞でも目的のタンパク質を作るように指令を出すことが可能になります。このような別の生物のプロモーターによる生命操作は品種改良ではあり得ません。この強力なプロモーターによる生命操作こそ遺伝子組換え技術に固有の最大の特徴というべきものです。ですから、その強力な操作がもたらし影響や安全性については、従来の品種改良と同列に考えることはできません。

(4)、推理その4:反論2(カラシナ畑は平穏無事)
さらに、これもごく素朴なものと言えますが、次の反論があります。
≪ディフェンシン耐性菌の問題で何か異変が起きていれば、既に自然界のカラシナ畑で異変が起きている筈である。しかし、カラシナ畑で何も起きていない以上、ディフェンシン耐性菌問題は心配ない≫。[4]
 しかし、この研究者は微生物のことは分かっているのでしょうが、前述の品種改良論と同様、遺伝子組換え技術の本質のことを全く理解していません。自然界のカラシナは病原菌がやってきたときだけディフェンシンを作るのであって、それ以外には作りません。これに対し、強力なプロモーターを組み込ませた遺伝子組換え技術では全く異なります。本件の野外実験では、病原菌がやって来ようが来まいと関係なく、ディフェンシンを常時作るように指令を出すプロモーターを組み込ませてあります。その結果、ディフェンシンは常時作られ、休みなく細胞の外に運ばれます。
ディフェンシンに関するこのような生命操作は、カラシナも含めて自然界が未だかつて経験したことのないものです。もともと自然界のカラシナが病原菌が襲来したときにだけディフェンシンを作り、殺菌するというのは、むやみやたらと姿を病原菌に晒して、病原菌に防御を学習させないようにするための自然界の叡知です。従って、これまで自然界のカラシナで異変が起きなかったのはそうした叡知のなせる技です。それに対し、この叡知を見落とし、遺伝子組換え技術により、常時、ディフェンシンを作り続けたら、病原菌に防御を学習させる機会をふんだんに与え続けることになり、異変が起きても不思議ではありません。この意味でも、自然界で異変が起きていないことは、本野外実験で異変が起きない保証には全くなりません。

3、見込みちがいだった自然界2:出現する耐性菌の危険性も極めて高い。
次に、出現したディフェンシン耐性菌の危険性は抗生物質や農薬による耐性菌のそれと変わらないとした開発者の見込みは間違いであり、実際は抗生物質や農薬による耐性菌とは比べものにならないくらい、危険性が高いものです(これは推理ではなく、確定した知見です)。理由を順番に解説しましょう。

(1)、これまでの耐性菌の危険性
抗生物質や農薬による耐性菌の場合、それが危険なのは、それらを使用する生物(ヒトや野菜)が、手術後の治療といったように、抗生物質や農薬を使用する必要があるときです。それ以外の場面では危険はありません。また、問題の場面においても、耐性菌に対しまだ耐性を獲得していない別の抗生物質や農薬を使うことで対処できます(但し、最近は、多くの抗生物質や農薬に対しても耐性を獲得しているいわゆる多剤性の耐性菌の出現が増え、深刻な問題となっていますが)。

(2)、ディフェンシン耐性菌の未曾有の危険性
これに対し、ディフェンシン耐性菌の場合、事情が全く異なってきます。その最大の理由は、ディフェンシンは、抗生物質や農薬と異なり、多くの生物が病原菌から身体を守るために自ら作り出しているものだからです。つまり、ディフェンシン生産者がごまんといることです。そのため、世の多くのディフェンシン生産者に対し、カラシナ・ディフェンシン耐性菌は悪影響を及ぼすおそれがあるのです。

(3)、理由その1:交差耐性
もう少し丁寧に解説しますと、
ディフェンシンを自ら作り出す生物は、カラシナなどアブラナ科の植物以外にも、ヒトや牛、豚、カエル、蜂蜜、昆虫、高等植物など多くの生物に及びます。ところで、耐性菌の基本的性質として、特定の薬剤や抗菌タンパク質に対する耐性菌と知られていたものが、それ以外の薬剤や抗菌タンパク質に対しても耐性を発揮することがあります。これを交差耐性といいます。交差耐性が認められるとカラシナ・ディフェンシン耐性菌の場合なら、カラシナ以外のヒト・動植物のディフェンシンに対しても耐性を発揮することになり、その結果、その生物はカラシナ・ディフェンシン耐性菌の襲来に対しディフェンシンが効かず、生態防御のメカニズムを突破され大打撃を受けます。

(4)、理由その2:遺伝子の水平移動
他方で、耐性菌は自分が獲得した耐性遺伝子を様々な方法(形質転換・形質導入・接合伝達)で他の菌に伝達する性質を持っています。これを遺伝子の水平移動といいます。これによって、多くの種類の菌が耐性遺伝子を持つことが可能となります。もともと病原菌は特定の生物にしか感染しないものですが(感染する相手の生物のことを宿主といいます)、多くの種類の病原菌が遺伝子の水平移動により耐性を獲得した結果、それだけ多くの種類の宿主が耐性菌によって脅威にさらされる危険性が増大します。例えば、イネの病気であるいもち病の菌はヒトには感染しませんから、いもち病菌のディフェンシン耐性菌が出現しただけでヒトは心配に及びませんが、しかし、いもち病菌の耐性遺伝子が田んぼにいる緑膿菌に伝達されたとき、その緑膿菌のディフェンシン耐性菌はヒトに感染するという事態が生まれるのです。
 このように、一方で交差耐性、他方で遺伝子の水平移動という性質の組合わせにより、ディフェンシンを作っているヒトをはじめたくさんの種類の動植物がディフェンシン耐性菌の脅威にさらされることになります。こうしたことは抗生物質や農薬による耐性菌では起こり得ず、その危険性は比較になりません。なぜなら、抗生物質や農薬ではそれを使用する生物(ヒトや野菜)が、手術後の治療といったふうに抗生物質や農薬を使用する必要があるときにだけ問題が発生するのに対し、ディフェンシンの場合には、これを作り出す全ての種類の生物に対して、普段の生活の中で日常的に問題が発生する可能性があるものだからです。しかし、開発者は誰もこの重大なちがいに気がつきませんでした。というより、彼らはもっぱらイネのことしか頭にありませんでした。

第2部:人間界の悲劇の反復
1、見込みちがいをただす市民の取り組み
(1)、話合いの思いがけない展開:素朴な疑問と意外な返答と深まる不信感の連鎖
5年前のGW初日の2005年4月29日、開発者のGMイネ野外実験の説明会がありました。開発者側は、GWで人も来ないだろう、自分たちの説明でスムーズに進むだろうと楽観していました。しかし、事態は想定外の方向に進みました。
当日、会場満員の住民が出席しました。そして、風評被害に対する開発者側の回答がまず地元住民の心に不信の芽を芽生えさせました。住民の「GMイネ野外実験のおかげで、新潟のコシヒカリは純米じゃなくてGM米だといった風評被害が広がり、米が売れなくなったらどうするのだ」という不安に対し、開発者側の回答は「風評被害は前提にしていない」というものでした。そこで、住民の「風評被害が起こった場合は誰が補償してくれるのか」という問いに対しても、彼らの回答は「風評被害の心配はない」でした。つまり、開発者側は風評被害に対して住民が抱いている切実な不安をぜんぜん受け止めていなかったのです。
さらに、住民の「地元で誰も望んでいないGMイネをなぜ作るのか」という問いに対して、答えませんでした。その後、地元の新聞記者に、「怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ[5]」と開発者のトップ(センター長)が発言しました。このまれに見る正直な回答は、しかし住民の不安・不信を一層掻き立てるだけでした。
 その後、開発者側と地元の若い農家の間で『玄米問答』が始まりました。説明会で、開発者は「GMイネは葉緑素のある細胞でしかディフェンシンを作らないから、可食部の白米部分は全く心配ない」と食の安全を強調したので、若い農民たちは「じゃあ、玄米はどうなの。未熟で緑色の段階の玄米の表皮はディフェンシンを作っているんじゃないの」と素朴な疑問をぶつけました。そしたら、「玄米の一番外側の細胞も緑色の間はディフェンシンを発現するかもしれないが、色が変わった後はディフェンシンは分解されコメとして食べる時にはディフェンシンは残っていないと回答しました。これは彼らの最初の説明と明らかにちがうものでした。そこで、農民たちは「じゃあ、緑色が変わらない青未熟粒ならどうなの」と聞きました。すると、開発者の回答は「今後調査する」でした。その後、「玄米粒全体を解析したが、ディフェンシンは検出できなかった。今後、ディフェンシン遺伝子の発現場所については細かく調べる」と回答してきました。これは、彼らの最初の説明「可食部の白米部分は全く心配ない」から随分ちがう説明でした。玄米は農民にとって最も身近なもので、その玄米について農民の素朴な質問にすら、開発者は、最初に述べた食の安全を強調する説明と矛盾する回答しかできず、住民の心に不信感を募らせる結果となりました。
(2)、強行された田植えと市民に残された対抗手段
住民の素朴な質問に開発者はどれ1つまともに答えられませんでした。しかし、野外実験中止の姿勢だけは一歩も譲りません。地元住民と地元自治体[6]の実験延期の強い要望にも関わらず、全く聞き入れられず、なおかつ住民の不安に対する得心のいく説明がないままGMイネの田植えが強行されることになったとき、住民たちに残された解決方法は2つしかありませんでした。1つは実力による阻止、もう1つは裁判による解決です。住民は”穏やか”に裁判による解決を選択し、開発者側の見込みに対して真実はどうなのか、その真相解明のために舞台は裁判所に移りました。日本で初めての遺伝子組換え作物に関する裁判、のみならず世界でも数例しかない最先端の裁判でした。
 尤も、相手は上越市の由緒ある名士。よくそんな大それた真似が出来たと思われますが、もともと裁判を受けるのはどんな市民にも憲法で保障された基本的人権です。その上『地元で誰も望んでいないGMイネをなぜ作るのか』という素朴な疑問から行動を起こしたものです。ちょうど、『地元で誰も望んでいない米軍をなぜ駐留するのか』という沖縄の人たちの素朴な疑問と同じ、自然の摂理です。

2、裁判の中での開発者の態度
(1)、普段の口癖と裁判の中で見せた態度
開発者の口癖は「適切な情報公開・提供に努めます」でした。そこで、原告の市民は、裁判の中で、開発者に野外実験の安全性についての真相解明を求めました。開発者は答弁書で安全性に問題がないことを強調しました。しかし、問題はその理由です。
①.野外実験にあたって開発者はどのような根拠に基づきどのような見込みを立てたのか。
②.その後、現段階において実際の真実はどのようなものだったのか、
この2つについて真相の解明が求められました。
しかし、開発者は、事前の屋内実験の過程で得られた情報をひとつも公開せず、のみならず、①の過去の見込みも、②の現段階での真実についても、これを歪曲しました。つまり、これらについて、真実と裁判になって開発者が言い出した主張とは次のように矛盾、ズレがあったのです。
①の過去の見込み
真実
裁判になってから言い出した開発者の主張
≪抗菌蛋白質は一般的に病原菌に対して”穏やか”に作用すると考えられている、‥‥抗生物質や農薬の主成分である薬剤と比較して、抗菌蛋白質では抵抗性崩壊(注:耐性菌の出現のこと)の懸念は低いと考えられている≫[7]
つまり「抗菌作用は穏やかであり、耐性菌の出現の可能性は抗生物質や農薬と比べ、低い」
≪そもそも本実験に用いるディフェンシン蛋白質のような抗菌性タンパク質の場合、抗菌作用は穏やかであり、耐性菌の出現の余地は科学的になく≫[8]
のちには、以下のように変更。
≪ディフェンシン耐性菌問題は、‥‥発生可能性がないことが科学的に公知であった[9]

②の現段階での真実
真実
裁判になってから言い出した開発者の主張
200511月、PerronZasloff論文の発表
実験室で、抗菌タンパク質を使って耐性菌の出現を確認。
Zasloff氏の警鐘「もしも何かが試験管の中で起こるなら、それは実際の世界でも起こるでしょう」
Zasloff氏の「抗菌タンパク質に対する耐性菌の出現は極めて考えにくい(surprisingly improbable)」という仮説に依拠していた開発者は、前記Zasloff氏の新見解に基づき、従来の態度変更を迫られた筈。
原告が取り上げ、反論するまでは、自ら一切、黙して語らず。

裁判では、このように開発者は自らの科学的立場すらかなぐり捨ててしまったのです。これはもはや最初の見込み=偶然の悲劇ではなく、意図した悲劇=茶番です。その答弁書の締めくくりとして、次のように原告市民に対する率直な感想を表明したのは、むしろ自らの非科学的態度に対する自嘲から思わず神経症的な反動が来たのではないかと思われます。
≪本申立は、本実験を批判し、批判を喧伝する手段の一つとして行われたとしか考えられず、手続を維持するだけの法律上の根拠は全く認めることができない。いずれにせよ、本申立においては、そもそも一般的な高等教育機関で教授ないし研究されている遺伝子科学の理論に基づいた主張を展開しているものではなく、遺伝子科学に関し聞きかじりをした程度の知識を前提に特定の指向をもった偏頗な主張を抽象的に述べているに過ぎず、また法的に考察しても非法律的な主観的不安を書きつらねただけのものとしか評価しようがなく、債務者としてはかような仮処分が申し立てられたこと自体に困惑するばかりである≫[10]
2005年8月、開発者は、一審裁判所から、ディフェンシン耐性菌等の問題について次のように命じられました。
「今後とも生産者や消費者に的確に情報提供したり説明をすることにより、本件GMイネに対する不安感や不信感等を払拭するよう努めていく責任があり、仮にも、上記の情報公開等が円滑に行われず、いたずらに生産者や消費者の不安感等を助長するような事態を招き、その結果、農業等行う上で具体的な損害ないし支障が生ずるような状況に立ち至ったときには、本件野外実験の差止めを求められてもやむを得ない」
 そこで、これを踏まえて、原告市民は開発者に耐性菌問題についてきちんと情報公開してほしいと請求しました。すると、「適切な情報公開・提供に努めます」が口癖の開発者は「ディフェンシン耐性菌の発生については、今回の実験の目的ではなく、調査する予定はない」と回答して情報公開を拒否して、原告市民の期待を無視するのみならず裁判所の決定すら無視することも恐れぬ、さらには自ら発表した前記論文との矛盾撞着さえも恐れぬ、類まれなる勇気を発揮したのでした。

(2)、開発者の事案解明1:全国の百名弱のバイオ研究者の要請書。


(3)、開発者の事案解明2:証拠の切り札は原告が反論できない一番最後に提出。
(4)、開発者の偽装発覚と開発者に優しい裁判所


[1]スコットランドのプッタイ博士、ロシアのイリーナ博士など。
[2] イネ裁判の仮処分手続における開発者の答弁書12頁。
[3] 「日本初といいますか、有用な遺伝子がこういう形で使われるというのは非常にいいことで、うれしいことだと思う」(審査委員の高木正道新潟薬科大学教授の発言。審査会議事録35頁)
[4] 開発者の野外実験承認申請書を審査した委員のうち、ただ一人の微生物専攻の研究者が、のちの裁判で、開発側の依頼で意見書を作成・提出し、その中で述べていたことです。
[5] 新潟日報5月28日。
[6] 例えば、当時、上越市長が『北陸研究センターから実験の必要性や内容が分かりやすく説明されていない。消費者農家の合意が得られるまで説明してもらいたい』と述べました(5月27日朝日新聞新潟県内版)。
[7] 野外実験直前に雑誌「化学と生物」に発表した論文の233頁。
[8] 開発者の答弁書1316行目以下。
[9] 2005年9月27日被告準備書面(5) 9頁
[10] 答弁書19