2004年6月6日日曜日

「バイテク・センチュリー」ノートのまえがき(2004.6.6))

                     「バイテク・センチュリー」(日本語版

はじめに
 
このノート(->こちら)は、「エントロピーの法則」などで知られるアメリカの文明批評家ジェレミー・リフキンのバイオテクノロジー革命がもたらすものについて考察した作品「バイテク・センチュリー」(日本語版は1999年4月、集英社刊)を読みながら、書き留めた記録です。

 ここには、バイオテクノロジー革命が物理学の革命から始まった近代文明がその後辿ったもろもろの成果の一大集約点であること、いってみれば我々の文明の到達点であることが明らかにされ、それゆえ、同時にこれが文明の光と影の両方に渡って決定的な出来事に遭遇するであろうことを示唆するものです。

 私のようなズブの素人には、難しい専門的知識の説明より、たとえ仮説にせよ、こうしたパースペクティブ(大局観)をもって事態を説明しようとする書物のほうが入門編としてありがたいものです。

 これを読んだとき、私の後半生の方向が決まりました。そのことをその夏の書中見舞いで、こう書きました。

少し前ですが、ようやく私の後半生の方向が決まりました。

ジェレミー・リフキン「バイテク・センチュリー」(集英社)
という本と出会ったおかげです。

私は、医者になります(^_^)。
というか、
「遺伝子工学」
「リスク評価学」
「予測生態学」
をマスターしたい。

そのために、今、特許の専門家になる準備をしております(もっか、その方面の専門家について修行中です)。
少し前に、青色発光ダイオードの中村修二の代理人弁護士事務所に勤務したいとラブレターを書きましたが、あんなゆうちょなことをしている場合ではない。

もっとダイレクトにやる必要がある(^_^)。

昔、有志と著作権の勉強会をやっていて、それが変節して、数学の勉強会になりましたが、あれがその後、挫折してしまいました。
しかし、今回、遺伝子工学を知る中で、その原因が目からウロコガ落ちるように分かり、今度は、ぜったい挫折しないでやる見通しが持てました。
今度こそ、マトリックスも量子力学もサイバネテックスも身を入れて取り組めます。

だから、もういっぺん、数学と物理の勉強を再開します(医者やリスク評価学のマスターのために必要だからです)。

一言で言うと、先日、カンヌ映画祭でパルムドールを取ったマイケル・ムーアみたいな気分です。

 1年後、それが実現する羽目になりました。それが禁断の科学裁判「遺伝子組換えイネ野外実験差止訴訟」(公式HP->こちら)です。
願ったからといって夢は実現するものではない、しかし、願わなければ夢は絶対実現することはない--今回もまた、この真理を確認することができました。

このノートに興味を持った人は、是非、本書「バイテク・センチュリー」(日本語版英語版)を読んでみて下さい。

 

 

「バイテク・センチュリー」ノート:バイオテクノロジーとは何か(2004.6.6)

ノート――バイオテクノロジーの可能性について――
ジェレミー・リフキン「バイテク・センチュリー」より

目 次
7、優生学的文明
11、ジェレミー・リフキンの個人的な見解――オルタナティブなバイテクの探求――

参考文献
*キューブリック「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」
*タルコフスキー「惑星ソラリス」「ストーカー」
*マイケル・ムーア「ロジャー&ミー」
*斉藤茂男「わが亡きあとに洪水はきたれ」
*柄谷行人ほか共同討議「宮沢賢治をめぐって」(批評空間1997年Ⅱ-14号)
*チョムスキーほか「マニュファクチュアリング コンセント」

始源的なものはそれが成熟したときに視えてくる――科学のエッセンス、産業社会のエッセンスは今後のバイオテクノロジーの中で最もクリアに照らし出される筈である。
だとすれば、過去の工業社会の光と影、物理・化学の光と影の体験を、バイオテクノロジーの時代の中でもまた改めて、しかも最も徹底した形で反復することになるだろう。
 だとすれば、ちょうど今、工業社会が、その影の体験の末に、(表向きにせよ)「環境に優しい」「持続可能な社会」を掲げたように、バイオ社会も、いずれ、そうしたスローガンを掲げるようになるだろう。
しかし、そのために、人類は、これまで、被爆、公害といった工業社会、物理・化学がもたらした悲惨極まりない体験をくぐり抜けてこなければならなかった。
だとすれば、今後、バイオ社会における「環境に優しい」「持続可能な社会」というスローガンを獲得するために、またしても同じような悲惨な体験を反復しなければならないのか。
――人類は、そこまで愚かではない。
だとすれば、その悲惨な体験の反復を食い止めるために何が必要だろうか? 何が可能だろうか?
      ↓
このノートは、それを探求するために思い立ったもの。

もうひとつ。社会に新しいテクノロジーを根づかせ、発展させていくとき、推進者たちは、そのためには、単にその技術が優秀であるのみならず、それ以外にも、政治、経済、マスコミ、文化、教育、哲学など様々な分野でそれを支持し、サポートする全般的な動き、というより運動が企てられる――或る意味で、それは殆どマインド・コントロールに近い――が、もっか売り出し中のバイオテクノロジーは、こうした運動の生成過程をつぶさに観察するに打ってつけの対象である。
そして、その観察から、我々が既にどっぷり漬かってしまい、マインド・コントロールされていることすら自覚しなくなってしまった工業社会のテクノロジーを支えてきた様々なコモン・センスと称する世界観、思想、哲学の正体を吟味する道が開けてくる筈。
 それは、現代の環境問題、消費者問題、人権問題の本質を考え抜く上で不可欠の作業である。

 バイオテクノロジーは、人類のこれまでの科学の成果の総結晶=総決算として登場する。つまり、
工業社会の屋台骨だった物理・化学のみならず、現代社会の基礎となる情報科学・コンピュータ・医学・農学などこれまでの全ての分野の成果の上に花開いた。
それゆえ、これまでの科学の成果・発想、さらにはそれが直面した課題、矛盾がすべて、バイオテクノロジーの世界で再出現・再登場することになる。

例えば、コンピュータの世界では、「データのバックアップ」は常識。
    これと同じ発想をバイオテクノロジーに導入 → 「臓器のバックアップ」
    つまり、臓器移植をめぐる厄介な問題を「臓器のバックアップ」によって解決。
 
これまでの臓器移植は、生きた人間の臓器を、死亡を待って移植するもの。
             否応なしに
医師:臓器移植の成果をあげるために、できるだけ死亡時期(の解釈)を早めたい。
             その反動として
   「死亡時期」をめぐって、社会的な論争を招いた。

この問題を解決するために、ヒトではなく、ヒト以外の生き物からの臓器移植というプランが登場
    「ヒヒ」「サル」による臓器移植
1984年 生後15日の赤ん坊が、不完全な心臓のため、ヒヒの心臓を移植(20日後に死亡)。
1992年 35歳の男性、ヒヒの肝臓を移植(2ヶ月半後に死亡)
              
研究者からの警告:遺伝子変更された動物の臓器をヒトに移植することにより、動物ウイルスが種の境界をこえて、治療法の全くない新しい致死的なウイルス性流行病を生み出す恐れがある。
            
かつて:ありそうもない妄想だと一蹴
  今 :予測として極めて現実的であり、危険なものと認められるに至る。
   ∵ エイズの世界的流行(ウイルスの種間移転に伴う恐るべき影響)
「動物の臓器を直接人間の体内に入れるほうが、多雨林の微生物よりもはるかに重大な影響を及ぼすかもしれない」(ウイルス免疫専門のジョン・アラン博士)
       
  バイオテクノロジー会社の対案:ブタの臓器なら安全性が高く大丈夫
              
  1997年 ブタの細胞内に、レトロウイルスを発見。それが実験室で人の細胞に感染した。   
「動物からヒトへの移植は、レトロウイルスのるつぼであり、結果的に遺伝子が変更された病原性組替ウイルスになり得る」(ジョン・アラン)【以上、「バイテク・センチュリー」152153頁。以下、頁のみ表示】
              
そこで、再び、問題の解決のために、ヒトでもなく、かつヒト以外の生き物でもないモノから臓器移植するという二律背反に迫られた。この二律背反を解決するために導入された手段が、
      工場でヒトの臓器移植専用に作られた生き物
      その具体的なイメージとは‥‥たとえば、
人工子宮というガラスビンの中で、ヒトの胚を、遺伝子組換により頭の発育を抑えて、頭のない胎児を育てることができる。あとは、臓器をクローニングしておけば、その生き物の臓器が、提供者のそれと完全に適合するものが確実に得られ、組織の拒絶反応というリスクを負わなくても済む。
いずれ、こうしたヒトではなく、かつヒト以外の生き物でもない(頭のない)臓器移植専用生き物が、工場のガラスビンの中でで、大量に複製生産することができる時代となる。
これなら「誰にも危害を及ぼしていないのだから、倫理的な問題もない」(ロンドンの或る学者)、今までの臓器移植の問題がすべて解決する。これが21世紀初めのいつかに出現するとされる、バイオテクノロジーの未来図の輝かしい一例。
              
しかし、果して、本当に「誰にも危害を及ぼしていないのだろうか」。そもそも、データのバックアップと同じ感覚で、バックアップ用に頭のない生き物を作ることが許されるのだろうか。それは、出生前に「殺されて」誕生した人間のことではないだろうか。
これが、今までの常識が通用しない世界が、バイオテクノロジーの未来である。【以上、5758頁】

(1)、会社情報【38頁】
1997年現在 米国 会社数 13000
          年商  130億ドル
          社員  10万人 
*ライフ・サイエンス産業の整理・統合・他の業界からの転身【104頁】
1997年 科学メーカーとして長い歴史をもつモンサント社、全化学部門を売却。バイオテクノロジーに専念。
     ノバーティス社、スイスの製薬会社サンドと農芸化学会社チバ・ガイギーを買収【105頁】
       その結果「ライフ・サイエンス」産業時代の最大手。
農芸化学で、世界一。
種苗で、世界二。
製薬で、世界二。

(2)、株式公開に対する投資家の反応【73[x1] 
1980年 最初の遺伝子操作会社(ジェネンティック社)の株式公開
    100万株を1株35ドルで売り出したが、当日の取引終了時、株価は532ドルに急騰。
    この会社は、まだ、ただの一つの製品も市場に出していなかった。
「私は、メリルリンチでもう22年やってきたが、こんな例は見たことがない」(或る金融アナリストのコメント)

(3)、企業と研究者の深い関係【88頁】
 1986年 550社の調査により、
           研究開発資金の20%が大学の研究者にわたる。
      企業の資金援助を受けている教授の多くが、当の会社のトップクラスに収まっている。
      一流の研究者の殆どが、これらの企業の株式を相当数保有している。
  1980年末  米国科学アカデミー会員で、バイオテクノロジー専門の研究者の37%が「企業と提携」

(1)、なぜ、かくもバイオテクノロジーに熱狂するのか?
工業化時代の終焉、情報産業時代の成熟・頭打ちの中にあって、唯一、バイオテクノロジーが、遺伝子操作により、他に例を見ないような差異をもたらすことができるように、それゆえそこから特別な利潤をもたらすように思えるから。
実例【3859頁】
(a)鉱業
・バイオ抽出法:含有量の低い鉱石にバクテリアを吹き込み、鉱石中の金属以外の部分(塩分など)を食べ尽くしてもらう。→低含有鉱石や普通なら廃棄するぼたを実用化。
・鉱山爆発の主因となるメタンガスを食べる微生物の設計。
(b)エネルギー
バイオ燃料:余剰農作物・刈取り芝草、固形廃棄物、へどろを食べて、エタノールに変える大腸菌株の開発。
(c)化学
 ・微生物・植物が作り出すプラスチックの開発。
1993年 カーネギー研究所、マスタードの苗にプラスチックを作る遺伝子を挿入し、それにより、マスタードの苗はプラスチック工場に変身。
1996年 米陸軍、クモが絹糸を作るのに使う遺伝子と類似の遺伝子をバクテリアに組み込み、そのバクテリアを大桶で育てて絹を収獲したいと実験中。
(d)環境浄化
・遺伝子操作した微生物を使って、危険な汚染物質や有害廃棄物を除去、無毒化。
      ↓
・米国、年2億トン以上の有害物質が生み出され、年170兆ドルの有害廃棄物置場の浄化費用と推定され、バイオレメディエーション(生物的環境浄化)は成長産業と見なされている。
(e)林業
樹木に組み込めば成長が早く、病気に強く、寒暑・日照りによく耐えられるようになる遺伝子を研究。
(f)農業
 ・従来の石油化学系の肥料に頼る必要のない、窒素を空気中から直接摂取する農作物を開発中。
・収穫量が増え、除草剤への耐性を強め、ウイルスや害虫を撃墜するのに役立つ、塩分の強い土壌や乾燥地に対する適応力のある遺伝子を研究。
1996年、アラバマ州、綿花の3/4以上が昆虫を殺すように遺伝子操作された。
1997年、アメリカ全体で、800万エーカー余りの畑で、遺伝子組換大豆が播かれた。
             350万エーカーの畑で、遺伝子組換コーンが播かれた。
1996年、フロリダ州、遺伝子を組み込まれた最初の昆虫、捕食性のダニが放出。イチゴなどの作物を傷つけるダニを食べさせるため。
1995年、カルフォルニア大学、毎年全米の綿花畑に数百万ドルの損害を与えているワタキバガの幼虫に致死遺伝子を組み込んで、致死遺伝子が幼虫の体内で活性化し、若い毛虫が大量死することを期待。
1980年末、遺伝子操作により、大量のバニラを実験室の大桶で作れるようになり、バニラのタネも植物も、土壌も耕作も、そして農民もいらなくなった。
・オレンジ・ジュースが大桶の中で栽培され、オレンジの木を植える必要がなくなる日も近い。
農地と工場の両方を使う混合型の農業モデル:畑には多年生のバイオマスだけを植え、それを収獲したら酵素を使って砂糖溶液に転換する。その溶液をパイプで都会の工場に送り、組織培養で素材を大量に作る際の栄養源として使用。その素材を溶かして様々な形と質感に加工し、「畑で栽培された」作物を連想させるようなものを作り出す。その工場は高度にオートメーション化し、わずかな労働者しかいらなくなる。
(g)畜産業
*「スーパーアニマル」の開発:遺伝子操作により、高い食糧生産能力を持つ家畜。
・オーストラリアのアデレート大学、30%効率的に成長し、7週間早く市場に出せる遺伝子操作による新種のブタを開発。
・米国ウィスコンシン大学、卵を抱く性癖のあるシチメンチョウの遺伝子を変更し、抱卵本能を奪い、母性本能を取り上げた。その間中断した卵の生産が継続して、生産性が上がった。
*遺伝子操作により新しい動物を作り、そこから薬剤や薬品を作る「化学工場」として構想。
1996年、ゲンザイム・トランスジェニック社、遺伝子挿入により、抗がん剤を運ぶ抗体BR96を作る遺伝子を持ったヤギの誕生に成功。
・同社、ヤギに遺伝子を挿入し、抗凝血剤を産出させるテストを準備中。
・同社の狙いは、遺伝子を挿入した製薬動物を化学製品工場として使用することにより、従来の半分のコストで薬品を生産すること。現在、1000万ドルをかけて稼働中の生産が、近い将来、12匹のヤギの群れがそれに代わるだろう。
・コロラド州のソマトゲン社、ヒトのヘモグロビンを作るブタを遺伝子操作により作った。
1997年、歴史上初めての哺乳動物のクローン、羊の「ドリー」が誕生。
・しばらく後、第二のクローン・羊「ポリー」の誕生。ヒトの遺伝子を挿入。
・以後、遺伝子操作とクローニングという2つの技術により、特注のクローン動物を大量生産し、化学工場として使い、食肉工場として使おうと計画。
*ヒトへの臓器移植のための「臓器提供源」として構想。
・クローン動物の大量生産により、臓器の品質管理が確実になる。
・ネクストラン、ヒトの遺伝子を組み込んだブタの肝臓を、急性肝不全の患者が、ドナーが現われるまでの間の代替として使用を研究中(1個あたり1万8000ドル)。
      ↑
ヒトの臓器の入手が間に合わないため、毎年、全米で10万人以上が死亡しており、2010年には、世界的に45万人以上が異種間臓器移植の恩恵を受け、臓器産業の市場規模は60億ドルを超えるだろうと推定。
(h)海洋バイオテクノロジー
・ジョン・ホプキンズ大学、カレイの「不凍」遺伝子をバスやマスに組込みに成功。やがて、寒冷の海水でも生存できるようになるだろう。
・同大学、哺乳動物の成長ホルモン遺伝子を魚の受精卵に注入し、成長が早く重量のある魚を作っている。
・遺伝子操作により不妊のサケを作ることで、サケの産卵という自殺的な衝動を断ち切り、公海にとどまって重量のあるまま商業的に捕獲されることが期待される。ミシガン州立大学の研究によると、産卵サイクルを断ち切ることで、4倍の重量のキングサーモンを生み出すことができるという。
・クローン技術を用い、養殖場で、特別仕様の魚を大量生産することが可能になる。
(i)医療
*既に、何百万という人が、心臓病、癌、エイズ、卒中の治療に、遺伝子操作で作られた薬剤・薬品を使用。
1995年の遺伝子操作による新薬は、284種類。
*遺伝子操作によるヒトのインシュリンの出現で、米国340万人の糖尿病患者は、それまでのウシ・ブタから取ったインシュリンは使う必要が殆どなくなった。
*米国立アレルギー・感染症研究所、蚊を遺伝子操作して唾液腺に変更を加え、蚊が刺しても犠牲者にマラリアの病原体を注入できないようにした。
*イェール大学、致死的なシャガス病を起こす寄生生物を伝播する「サシガメ」という昆虫の腸に住むバクテリアに「病気を予防する遺伝子」を導入し、遺伝子を変えられたバクテリアが作り出す抗生物質が、「サシガメ」に寄生する病原生物を殺すように研究。
*1997年、ジョン・ホプキンズ大学、マウスの筋肉細胞の成長を調節する遺伝子を発見し、マウスの胚細胞からその遺伝子を除去したら、筋肉モリモリのマウスが誕生した。
*1997年、日本のキリンビールの研究チーム、ヒトの染色体全部を、マウスの遺伝子に移植することに成功。生まれたマウスは、ヒトの染色体を持っていた。また、1回の遺伝子注入で移植できる遺伝子の量は、これまでの50倍(約1000の遺伝子)。
*人体組織の製造
・人工皮膚を実験室で培養。
・心臓の弁、乳房、耳、軟骨、鼻などの人体の部分を作る研究の進行。そのコンセプトは、
     コンピュータを使った設計と製造方法により、
     特定の器官の形を真似て、基盤となる苗床をプラスチックで作成。
     その苗床にその器官の細胞を「植える」
     細胞が増殖していくにつれ、苗床は分解していく。
     最後に、細胞で作られた器官が完成。
1998年、ボストンの小児病院、10歳の男子から採取した膀胱細胞を植え、ガラス瓶の中でヒトの膀胱を育てていて、若い患者に移植したいと考えている。「組織工学による臓器移植の第1号」になるだろう。
2020年、研究者の予測では、人体部分の95%は実験室で育てられた臓器による移植が可能。
*20034月、ヒトゲノム解析計画、完了。
*DNAチップにより、個人のヒトゲノムの構成を調べ、その人の遺伝的素因を詳細に読み取ることができ、医師にとって、個人が現在、及び将来かかりそうな病気を選り分けるロードマップとなる。
*2008年までには、数千種類の遺伝病の遺伝子スクリーニング・テストが可能と予測。
*1992年、遺伝病の患者に、外来の遺伝子を注入して遺伝子治療が開始(98年段階では、効果が証明されたものは1つもないと批判)。これまでの治療法は体細胞を対象としてきたが、研究者は、今や生殖細胞系列の段階で遺伝子異常を直したいと考えている。なぜなら、体細胞治療では個々の患者にしか及ばないのに対し、生殖細胞系列療法だと、遺伝子が精子や卵子に移植されるので、その効果が将来の世代にまで及ぶから。
*1997年、オハイオ州の大学で、史上初めて、人工のヒト染色体を作った。人工染色体の使用により、現在の遺伝子治療の行き当たりばったりの「ショットガン」方式を克服。
*2008年までには、注文に応じて、子供の遺伝子を変更すること(受胎前にせよ以後にせよ)が現実化。
*人工子宮の具体化をめざして開発中。
*1997年、英国バース大学、ある遺伝子をカエルの胚に組み込み、頭のないカエルが誕生。研究者は、ヒトとカエルは同じ遺伝子が同じように機能するので、人工子宮で同様のヒトを作る手応えを得たという。(←冒頭の未来図のこと)

   (j)まとめ
 以上の可能性は、すべて遺伝子操作という新しいテクノロジーによりもたらされたもの。
つまり、これまで自然が命ずる約束事に従うしかなかった自然の壁を取り壊し、ゲノムの内部構造そのものを遺伝子操作によりコントロールし、支配することが無限に可能になった。これが前代未聞の可能性をもたらすことになった。
それは、あらゆる生物的障害や境界を越えて遺伝子を移転させるもので、人類史上前例のない――原子爆弾を唯一の例外として――空前絶後の力業である。【64頁・108頁】

農業ひとつ取っても、研究室で遺伝子操作されて生まれた新しい作物は、まるでSFの世界からきた生き物のようだ。【121頁】
・魚のカレイの「不凍」遺伝子をトマトに注入し、霜害から守ろうとする。
・ニワトリの遺伝子をジャガイモに組み込み、病気への耐性を強化。
・ホタルの遺伝子をニオイセンネンボクに組み込む。
・ハムスターの遺伝子をタバコの木に組み込み、ステロールの産生を増加させる。 

 遺伝子操作による新しい成果について、知的財産権とくに特許権(生命特許)がそれを守ることになった。

(1)、特許権(工業所有権)の歴史【7077頁】
もともと特許は、工業化社会の歴史を反映し、物質=非生物について認められたものだった。生物に特許を認めなかった理由として、米国では「それは生きている(alive)」からだった。

しかし、バイオテクノロジーの時代の到来と共に、それが変更される。
*1980年、米最高裁、インドの微生物学者、チャクラバーティ(当時、GEの社員)が遺伝子操作で流出石油を食べるように設計した微生物に対して、米特許商標局の申請却下を否定し、初の特許を認める。
多数意見を代表してウォレン最高裁長官曰く「問題は生物か非生物かにあるのではなく、人間による発明かどうかなのだ」 
*1985年、米特許商標局、植物特許を認める。
*1988年、米特許商標局、ハーヴァード大学の生物学者レダーが設計した遺伝子操作により癌にかかりやすいヒトの遺伝子を持つマウスに対して、初めての動物特許を認める。

(2)、生命特許の特徴
 (a)、保護の範囲【7879頁】
しかも、そこで認められた生命特許の適用範囲は非常に広く、全生物種に対する独占権を与えているものがある。
*1988年、レダーに与えられた特許権は、マウスのみならずヒトを除いた全ての動物に適用される。
*モンサント社の子会社(アグラセタス社)に、「組替え遺伝子操作されている綿の種子と木のすべてにわたる」特許が与えられた。
*1994年、WRグレース社、大豆のいかなる種に対して、遺伝子を注入することができる同社のテクニックについて特許を獲得。
*バイサイト社、欧州特許局から、新生児の臍帯から採取した、どんな治療目的にも利用されているヒトの血液細胞すべてについて特許を与えられた。しかし、実際、このバイサイト社がやったことは、単に「血液細胞を分離し、急速冷凍することができたから」にすぎない【96頁】。
*システミックス社、(この細胞に変更或いは遺伝子操作を一切加えていないにもかかわらず)ヒトの骨髄肝細胞のすべてをカバーする特許を取得【96頁】。
          ↓
その結果、生じた事態:バイオテクノロジー企業間の熾烈な闘い
「こうした特許は、ただひとつの企業に世界の主要作物に対する前例のない支配権を与えるものだ」という認識のもとに、
バイオテクノロジーの企業同士は、先を争って特許獲得のために空前絶後の熾烈な競争に突入。他方で、特許権侵害、先行技術の不正使用、企業秘密の盗用、著作権侵害などの告発が相次ぎ、米特許商標局、欧州特許局、裁判所への異議申立て、提訴は記録的数にのぼった。
*1991年、米国立衛生研究所のゲノムマッピング研究チームの主任クレイグ・ヴェンダー、公務員を辞任して、ベンチャーのゲノム会社を率い、ヒトの脳の遺伝子2000以上について、特許申請。しかも、それらの遺伝子の機能も分からないうちから特許を申請。納税者のお金で行なった研究成果を私益のために使うやり方に「正気の沙汰ではない」(DNAを発見したワトソン)といった非難が集中。
         ↑
(良心的)研究者、市民の間から、そもそもこうした独占権の付与に対する批判が相次ぐ。
「ある生物種の遺伝子操作された株すべてにわたって特許を認めることは、我々が農場や菜園で栽培するものを支配する可能性をただ1人の発明者の手に委ねる結果となる。ペンを一筆走らせただけで、経済ハイジャックのような裁定により、無数の農民や科学者の研究の将来は無効にされてしまった」(国際植物遺伝資源研究所理事長ジョフリー・ホーチン博士)

(b)、生命特許の成立要件の著しい不均衡(竹田和彦「特許の知識)67頁)
バイオテクノロジーと並ぶ前代未聞の技術である原子力利用の場合と比べてみるとよく分かる。

 原子力に関して、原子炉を発明したフランスの学者ジョリオ・キュリーから日本で特許申請が出されたとき、特許庁も裁判所も、次の理由で特許を認めなかった(最高裁昭和44128日)。
「本願発明の実施に伴う危険は、一般の動力装置におけるような通常の手段方法では阻止できない特異のものであり、しかもその装置の作用効果を発揮するためには不可避的なものであるから、その防止の具体的手段は、発明の技術的内容を構成するものと言わざるを得ない。」
しかるに、本願発明では危険防止、安全確保の手段が明らかにされておらず、それゆえ、技術的にみて未完成と言わざるを得ない。

つまり、危険防止、安全確保の手段を欠くことをもって原子炉の発明は未完成と判断した。
これは、20世紀最大の荒業である原子力技術に対する発明の評価として的を得たものである。
 
だとしたら、同じく、21世紀最大の荒業であるバイオテクノロジーに対しても、同様の態度を取って然るべき。
しかし、全世界の特許庁、裁判所もそうはしなかった。
危険防止、安全確保の手段を欠いても、生命発明を躊躇する理由にならなかった。
 ここに、空前絶後の熾烈な競争の真っ最中で、危険防止、安全確保のことを顧みる余裕すら失っている彼らの現実が反映している。しかし、いずれ現実が、彼らの頭に、危険防止、安全確保の手段の重要性を叩き込むであろう(問題は、しかし、それでは遅すぎやしないかということである)。

(3)、前代未聞の「あべこべの海賊行為」【79~】
これまで知的財産権の海賊行為とは、先進国のコンテンツが、第三世界で無断で違法コピーされて海賊版として売られるという事態を指していた。つまり、先進国の企業が保有する知的財産権が、第三世界で侵害されるという知的財産権の保護に遅れた第三世界の恥部のことを意味した。

 しかし、バイオテクノロジーにおける海賊行為とは、これと全くあべこべとなった。これまで第三世界で保有されていた生物的な権利(実際は、その地で共有財産として存在)を、先進国の企業が無断で採取し、ちょこちょこと遺伝子操作を施して、自社の特許として独占的な権利を獲得してしまうという手口のことを指すからである。
*1992年、WRグレース社、インド原産のインドセンダンを使うための或る手法に多くの製法特許を申請。米特許商標局、これを認める。
          ↑ 
インドのみならず、世界中のNGOから、「先住民の知識と原産地の生物資源に企業が特許を得ようとする」企てに反対する抗議があがる。
インドの研究者も言う。
「自分たちが特許の保護を求めなかったのは、インドセンダンの木の用途に関する知識は、何世紀にもわたる先住民の研究と開発の結果であり、それは隠さないで自由に分かち合うべきもの[x2] だと考えるからだ」

*1993年、西アフリカのソーマチン(その植物蛋白は砂糖の10万倍甘く、地球上で最も甘い物質)を、韓国の製薬会社とカルフォルニア大学が遺伝子操作して、米国特許と国際特許を取得。低カロリー甘味料としてドル箱商品になると予測。西アフリカの村人たちはソーマチンの真の発見者を先祖にいだきながら、何世紀のもの間これを食糧の甘味料として使用してきたが、この商品化から何の恩恵も受けない。

*大手製薬会社メルク社、同社が価値が出そうだと判断して収集したコスタリカの植物、微生物、昆虫のサンプルの見返りとして、コスタリカの国立生物多様性研究所に100万ドルを支払う協定を結ぶ。         ↑
批判:収益40億ドルの同社が、地球上最も豊かな動植物の宝庫とされる国で自由に生物を探索、採取する権利をわずか100万ドルで買うなどとは、かつてヨーロッパの植民者がマンハッタン島を数ドル分の装身具で買ったようなものだ。
そもそも、現地の住民を差し置いて、国の研究機関というところが、何の根拠があって、そのような取引をする当事者となれたのか。

こうした生物的海賊行為は、植物、昆虫などの生物にとどまらず、ついにはヒトにまで及んでいる。
*1993年、米国立衛生研究所、パナマのグアイミ族のインディアンの細胞系から取出した特殊なウイルスについて、国内特許と国際特許を申請【9091頁】。
 元々、へんぴな土地に住むグアイミ族のインディアンは、抗体の産生を刺激する特殊なウイルスを持っていて、研究者はそれがエイズや白血病の治療に役立つかもしれないと考えたため。
            ↑
特許申請を知ったグアイミ族全体会議は、米国政府に公然と抗議。
「こともあろうに、米国立衛生研究所のような立派な研究機関が、これほど理不尽にわが部族の遺伝的プライバシーを踏みにじり、しかもアメリカ政府はその目的についてグアイミ族に助言もせず、その上、グアイミ族の遺伝的特性について特許を求め、それでもって世界市場で利益を得ようとした」

*その数ヶ月後、米国、ソロモン諸島とパプア・ニューギニアの市民から採取した細胞系について、米国と欧州で特許を申請【91頁】。
            ↑
特許申請を知ったソロモン諸島の政府が、米国政府に抗議表明。すると、商務長官ロン・ブラウンは次のように返事した。
「我々の法律及び多くの国の法律では、ヒトの細胞に関連する素材は特許の対象になり得る。他方、特許申請の対象になる細胞の出所に関して考慮すべきだ、という規定は全く存在しない」
*1996年、米国立衛生研究所の研究員、インドの民間眼科病院で患者のDNAと血液サンプルを無断で採取していたことが発覚。インドは多様な文化と近親交配の集団を抱えていて、商業的な価値のある遺伝子の探索・採取にとって理想的な場所と考えられたため(現に、インドでは、様々な部族や民族グループを対象とするフィールドワークをさせて欲しいという申し出が、アメリカをはじめとする多くの国の研究者から殺到)。
*1996年、インド・ヒト遺伝学会、当事者双方の正式な協定が結ばれるまで、「全血、細胞系、DNA、骨格素材、化石素材」の移転禁止を求めるガイドラインを発表。
            ↑
商業的価値のある遺伝子を突き止めて特許を得ようと激しい争奪戦が展開する多国籍企業は、
当然のことながら、札束をちらつかせて勧誘する手法を採用。
*ニューデリーの遺伝子学者キレン・クチェリア、(異常に関する特殊な遺伝子を持つ)患者2人の血液サンプルを2万ドルで売らないかと持ちかけられたと報告。←患者らは、ノーと回答。

*1990年、人間の細胞の所有権をめぐる訴訟
米最高裁、アラスカのムーアが、知らない間に自分の身体の一部について、カルフォルニア大学が特許を取得したとして、大学に対して、その所有権[x3] は自分にあると訴えていた事件で、ムーアの主張を退けた。その理由は、「患者は、本人の体から離れた細胞に対して所有権はない」
もともと、ムーアは彼の脾臓組織が血液タンパク質を産生し、そのタンパク質が抗がん剤として貴重な白血球の成長を促進させるという珍しい細胞だったため、大学はムーアの脾臓組織から細胞系を作り出し、1984年に自分たちの「発明」として特許を取得。
            ↑
最高裁判決の反対意見:
「多数意見は、こうした生物素材の価値を市場性よりも軽視するのみならず、細胞の出所たる原告(ムーア)が細胞の価値に相当する利益を得るのをはばみ、他方で、不正な手段で原告の細胞を入手した被告(大学)に対しては、不正入手した利得による経済価値を保持し、徹底して利用することを許し、‥‥なんら責任を問わないのだ」
         ↑
こうした批判に対する学者からの反論
「ジャーナリストがある家族についての記事を書いて、それでピューリッツァ賞をもらったとき、彼はその家族に一定の割合で賞金を分けるだろうか?」

しかし、このていたらくは一体どうしたことだろうか。
我々は、21世紀に生きているのではなく、まだずっと野蛮だったと信じられている16世紀の「囲い込み」の時代にワープしたのではないかと錯覚するくらいだ。
確かに、現代もまた「囲い込み」の時代である、生命という最後のフロンティアに対する。
しかし、市民はだてに500年すごしてきたわけではない。既に市民の抵抗・対抗は始まっている。

*1994年、40ヶ国から集まった数百の女性団体の連合会の共同声明。
米国のバイオテクノロジー会社ミリアッド・ジェネスティックス社が、乳がんの病歴を持つ家族の女性から乳がんを発生させる遺伝子を発見し、その遺伝子に特許を取得しようという企てに反対する。
その理由:同社が開発した乳がん遺伝子を検出するスクリーニング・テストに反対なのではなく、同社が、乳がん遺伝子そのものに独占権を主張していることに反対する。

*1995年、欧州議会は、提案された「生命特許法」案を否決。
法案の狙い:米国の生命体に対する幅広い特許政策に歩調を合わせようというもの。
議会の立場
(1)、倫理的、宗教的、哲学的な立場からヒトの遺伝子、細胞、組織、器官、胚を特許の対象とすることに反対し、ヒトゲノムを一般市場で売買される商業的財産にまでおとしめるべきではないと主張。
(2)、人間の遺伝素材は自然の事実であって、それゆえ「発見物」と考えるべきで、「発明物」と考えるべきではないと力説。
(3)、独占的な特許を認めることは、重要な情報の交換を妨げ、協力し合って病気の治療法を見つけ出そうという努力をはばむものである。
   ↑
1997年、前例のない激しいロビー活動を展開した末、修正した「生命特許法」案を採決。

1995年、200人以上の宗教指導者の連合組織が、ヒトの遺伝子、組織、器官、生命体を特許の対象とすることに反対する声明発表。【以上、98102頁】

6、第2の創世紀
(1)、科学者と科学の歴史の教訓
科学者は、或る意味で、芸術家に似ていて、ナルシストである。
つまり、自分の属する体系(世界)の中をひたすら突き進む。そのため、他者(との対立・衝突)が見えない。
バイオテクノロジーで言えば、目の前に開けた、遺伝子操作によりゲノムの内部構造そのものをコントロールし、支配する無限の可能性・組み合わせを前にして、科学者は、それまでの地球上の自然が命ずる約束事など一切無視して、その可能性を汲み尽くしてしまいたい、とことん探求してしまいたいという欲動に突き動かされる。
具体的に言えば、まったく無関係な種の間で、またあらゆる生物学的な境界――植物、動物、ヒト―をこえて、遺伝子を大規模に移転し、進化の歴史から見れば、ごく一瞬の間に何千という新しい形の生物を生み出し、かつクローン技術により大量複製生産し、それらを生物圏に放出するという実験、歴史上、かつてないほど過激な実験である。
それはあたかも、物質を構成する最小単位(素粒子)の謎を探求していくうちに、それまでの地球上の自然では存在しない原子爆弾の発明をするに至ってしまった物理学者の軌跡と似ている。

その意味で、バイオテクノロジーの大実験は、2つの意味で、第2の創世紀である。
一方で、我々の生活を一変させ、世界経済を作り変えるという意味で。
他方で、我々を取り巻く環境を一変させ、地球環境を一変させるという意味で。

歴史の教訓:強力な技術革新が自然界により影響しかもたらさないという例は、人類史上一度もない。新しいテクノロジーにより、人類は自然を利用し、短期的には利益を自分のものとできるが、しかし、その(中長期的な)過程で常に公害、資源の消耗、生物圏の不安定といった犠牲を払ってきた。
              ↓
ここから導かれる歴史の教訓とは、バイオテクノロジー革命もまた、地球の環境をそれなりのやり方で損傷するだろうということである。実際、遺伝子公害は始まっている。それは、少なくとも20世紀の石油化学がもたらした公害に劣らぬ重大な脅威を21世紀の生物圏にもたらすであろう。

(2)、遺伝子公害――予期せぬ新たな環境への脅威――

1980年代末、米国立アレルギー・感染症研究所が行なった遺伝子操作の実験:
エイズの研究に適した動物モデルを得ようと、ヒトのエイズ・ウイルスのゲノムをマウスの胚に注入。生まれたマウスは、HIVウイルスを身体の全細胞に発現していた(実験成功)。
             ↑これに対する批判             
もしそのマウスが偶然にせよ実験室から外部に逃げたらどうなるのか。マウスは野性のネズミと交配するかもしれない。しかも、そのマウスは、代々、HIVウイルスを持つことになる。
その結果、動物界にエイズの恐ろしい貯蔵庫を作ることになりかねない。
               ↑反論
  研究所の担当者:「余計な心配だ」

1990年、エイズ・ウィルスの共同発見者ロバート・ギャロのチーム「エイズ・マウスを動物研究モデルとして使うことの適合性と妥当性に関する調査」発表。
*マウスの保有していたエイズ・ウイルスは他のマウス・ウイルスと結合でき、その結果、毒性の強い新型のエイズ・ウイルス=「スーパー」エイズ・ウイルスを生み出す。
*その「スーパー」エイズ・ウイルスは、これまでのエイズ・ウイルスと異なり、空気感染により広がる可能性を持つ。
             ↑
「スーパー」エイズ・マウスの教訓:新しい組替えDNA技術が解き放つ(悪魔的な)力について、以前は越えることができなかった種間境界を越えて遺伝子素材を結合させることから生じる予期せぬ影響について、警告となる貴重な物語である。
               ↓
 21世紀には、バイオテクノロジー企業は、遺伝子操作された新しい生物を、何千種も自然環境に放出する予定。
しかし、そもそも遺伝子操作されて環境に解き放たれたほぼ全ての生物は、生態系にとって潜在的な脅威である。なぜそうなのか。そのためには、石油化学製品が環境に排出されたために起きる公害とは決定的に異なる点を理解しておく必要がある。
(a)、遺伝子操作された生物は生きており、石油化学製品と異なり、環境中の他の生き物への作用の仕方が予測しがたい。
(b)、遺伝子操作された生物は繁殖し、成長し、移動する。多くの石油化学製品と異なり、それらを一定の地理的な場所に押え込むことは困難。それゆえ、環境にもたらす影響は、石油化学製品よりはるかに重大かつ長期的なものになるおそれがある。
(c)、生態系とはもともと長期にわたる進化の歴史の間にまとまった、網の目を張り巡らしたように複雑な環境である。だから、遺伝子操作された生物の導入が、ごくわずかとはいえ環境を爆発させる引き金になる可能性があり、かりに引き金になった場合には、その影響は重大で取り返しがつかないものになるおそれがある。


日本の最近の実例
「東京理科大で遺伝子組換マウスの管理がズサン」という内部告発が記事になった。


この記事から、
①「アレルギーを起こす遺伝子組替えの実験用マウス」だから安全だという結論にならないこと。
②専用室から出して自分の研究室に移動したため、その研究室に出入りする野性のネズミと交配した可能性があったかどうか不明。
結局、何が問題なのかがさっぱり不明の、不安なまま幕引きをした処理。
          ↓
今後の教訓:市民レベルで、こうしたケースの問題点を評価する評価機関のようなものが必要。
      As if 原子力問題における原子力資料情報室(http://cnic.jp/

(3)、遺伝子公害の可能性・実例について
 (a)、遺伝子操作により、材木を硬くしている物質リグニンを破壊できる酵素を作り出す【112頁】。
          ↓
   狙い:製紙工場から出る廃液を浄化し、生物素材を分解して燃料として利用。
         ↑
しかし、もしこの酵素が敷地外に移動したとき、それは樹木に堅さを与えている物質を食べ尽くして、最終的に何万エーカーという森林を破壊することになるだろう。

(b)、遺伝子操作により、体重も多く、冷気や塩分にも耐え、病気への耐性を持つように作られた魚が、もし養魚場から自然の水系に逃げ出したとき、どういう事態が生じるであろうか【113頁】。
          ↓
生態学者の見通し:そうしたスーパー魚は、自然淘汰の上で有利であり、原産種に競り勝って自然の水系は大混乱を引き起こすおそれがある。
たとえば、遺伝子操作により作られた不妊のオスの魚(成長ホルモンを多く産生する遺伝子を組み込まれた魚)は、原産種より大きく強いために、彼らは、楽にメスの卵に接近できて、原産種のオスを追い払うかもしれない。その結果、不妊であるため、その卵は受精せず、原産種の魚の個体数をひどく枯渇させる危険がある。

(c)1980年初め、カルフォルニア大学、シリンジという氷の結晶の核を形成するという特性を持っているバクテリアに遺伝子操作をして、このバクテリアから氷を作る遺伝命令を除去することに成功。
その結果、植物に付着して農業の霜害の原因となるシリンジに追放して、遺伝子操作された凍らないバクテリアに代えることができれば、霜害が防止できるだろう。
         ↑ 批判
しかし、事態を長期的にかつ生態系の面で見たとき、初めて問題が明らかになる。
そもそも、このシリンジというバクテリアはいかなる役割を果しているかを理解する必要がある。これは、空に浮上して、降雨に不可欠な氷の形成に理想的な核となるという役割を果しているらしい。つまり、このバクテリアの氷を作る能力が世界的な降雨パターンを形作っており、地球上の気候条件を決定する主要な要因となっている。
従って、このバクテリアを追放することにより長期的にもたらされる世界的な降雨バターンや気象への影響については、極めて深刻なものがある【114頁】。
          ↓
従って、こうした野外実験を実施するためには、あらかじめ、遺伝子操作された生物の自然環境への放出が環境に与える影響について徹底的な影響評価を行なうべきである、と。
市民運動グループ(エコノミック・トレンド基金)は、連邦地裁に、「環境評価があるまで放出禁止」の訴えを提訴。認められる。

(4)、環境評価の学問である予測生態学・リスク評価学の必要性とその発展
バイオテクノロジーの発展のためには、遺伝子操作された生物の自然環境への放出が環境に与える影響について、適正な環境評価をする学問「予測生態学・リスク評価学」が不可欠であるにもかかわらず、恐るべきことに、その分野の学問が存在しなかった。

米国:1980年代半ばから、国家機関は「予測生態学」「リスク評価学」が欠如していることを認め、これらの学問のために、研究資金を振り向けることを約束。
          ↓
実際は、実行されなかった。
米農務省がリスク評価に割り当てている資金は、バイオテクノロジー研究費の1%(100200万ドル)にとどまる。
しかも、遺伝子操作テクノロジーにたずさわる分子生物学者は、リスク評価学をマスターすることに殆ど興味がなかった(元々、科学至上主義者であり、ナルシストであり、なおかつバイオ企業の経営者でもあり、熾烈な発明競争でそれどころではなかった)。

リスク評価学の不十分さが最も露呈するのが「野外試験」という評価手段の採用である。
この「野外試験」は、商業的に環境へ大規模放出する前に、潜在的なリスクを判断することを目的として計画された。 ↑
しかし、リスク評価の手段として「野外試験」を採用したこと自体、科学(学問)の敗北にほかならない。なぜなら、
野外試験では、一般に「花粉や種子、胚芽の逸出が起こらない」ように行われ、その結果、商業的に環境へ大規模放出する場合のリスクを検討することはできない。
野外試験場が余りに小さいため、テストが1回か2回に限られるため、潜在的に望ましくない影響は観察されない。雑草、昆虫、微生物などが、除草剤や殺虫剤やウイルスに耐性のある遺伝子への抵抗力を強める問題は、このような小さく、短期間のテストでは適切に扱われない。
商業的な環境への大規模放出は、それぞれ独自の土壌成分、微生物、昆虫、気象パターンを持った無数の異なる生態系でお壊れるから、そうした環境への潜在的な指標として野外実験を考えても事実上無意味。
          ↑反論
様々な生態系において大規模な野外実験を何シーズンにわたってした場合には、より正確な結果が得られるかもしれないが、その時の結果が有害なものであれば、その影響は取り返しがつかないものになる。
その場合、推進する前にリスク評価するというロジックそのものと矛盾する。
だから、現状の野外実験は不十分かもしれないが、、まったくテストをしないよりもましではないか。
          ↑再反論
現状の野外実験が、大規模な商業的放出で起こりそうな潜在的リスクを殆ど明らかにしないようにできているならば、それを実施することはただの茶番であり、それによって科学的に正当なリスク評価をしたという体裁を繕うための欺瞞にほかならない。

「野外試験」の顛末
政府の役人、企業の役員、分子生物学者は三位一体となって、厳密な科学的な管理という体裁を整えた最新ガイドラインを作成し、一般大衆に提示した。
         ↑
この事態に最も正確に反応したのが保険業界だった。
保険業界は、保険の引受けを依頼してきたバイオテクノロジーの企業にひそかに通知を出し、「遺伝子操作された生物の環境への大規模な放出により、万が一、破滅的な環境破壊を引き起こした場合の補償を引き受ける意思がない」と宣言。なぜなら、バイオテクノロジーの業界には、表向きの美しい「厳密な科学的な管理という体裁を整えた最新ガイドライン」とは裏腹に、真に科学的なリスク評価法がないから。
既に、核産業の荒涼としたイメージが、まだうまれたたてのバイオテクノロジー産業につきまとっている。しかし、米国のバイオテクノロジー産業界は、原子力発電会社がやったような企業が保証した数字をこえる被害が発生した場合にはその超過分はすべて米国納税者が負担するというやり方を取らなかった。彼らは、一般大衆が、「遺伝子操作された生物の環境への大規模な放出」に深刻な懸念を呼び覚されることを怖れたから。いわば、臭いものにフタをして、恐ろしい環境破壊に対する責任問題を未解決のままでいる。

(5)、遺伝子公害の最震源地――農業公害――
それは農業バイオテクノロジーの分野。なぜなら、産業界の動きが最も速いから。
その最も中心的なテーマが、遺伝子操作により、
除草剤耐性
害虫耐性
ウイルス耐性
を持った植物を作り出すこと。
       ↑
除草剤耐性を持つ植物の問題点
企業の狙い:自社が販売する除草剤にだけ耐性を持つ遺伝子導入植物を作る。それで、
      一方で、農家にその遺伝子導入植物を購入してもらい、
      他方で、農家に自社の除草剤を購入してもらうという一石二鳥の商売。
           ↑
しかし、現実は灰色の理論よりも緑で豊か。
農家は、遺伝子導入植物が除草剤耐性を持つから、安心してより大量の除草剤を使用するようになる。その結果、雑草がそれに対する耐性を強める(スーパー雑草の出現)、その結果、さらに耐性の強まった雑草を駆除するため、さらに大量の除草剤を使用せざるをえなくなるという悪循環に陥る可能性がある。
ニューサウスウェールズの大学の研究者の発見:雑草のライグラスが、モンサント社の除草剤ラウンダップへの耐性を次第強め、指示通りの5倍近くまで耐えて、ようやく枯れるに至った。
他方で、大量の除草剤の使用により、地味、水質、益虫への有害な影響が深刻化する。

②害虫耐性を持つ植物の問題点【123124頁】
害虫耐性を持つ植物の仕組み:遺伝子を導入により植物の細胞の中に殺虫剤を産生すること。
           ↑
しかし、ここでもまた現実は灰色の理論よりも緑で豊か。
殺虫剤産生の新しい遺伝子導入作物により、かえってその作用に耐性のある「スーパー害虫」を生み出す可能性がある。
モンサント社の害虫耐性作物には、土壌中に自然発生するバクテリア――バチルス・スリンジエンス(Bt)――から取ったBt遺伝子が組み込まれている。
1996年、このBt遺伝子を使うことで、新世代の耐性「スーパー害虫」を生み出すことになるのではないかという危惧が高まった。

③ウイルス耐性を持つ植物の問題点
ウイルス耐性を持つ植物の仕組み:ウイルスの外被タンパク遺伝子を植物のゲノムに組み込み、そのウイルスからの感染に対する耐性を与えるもの。
           ↑
しかし、ここでもまた現実は灰色の理論よりも緑で豊か。
外被タンパク遺伝子は遺伝子導入植物に自然に入ってくる近縁ウイルスの遺伝子と結合する可能性があり、そこから新しい特性を持った遺伝子組替えウイルスが生まれる可能性がある。

共通の問題点
         (a)、遺伝子導入作物の多くが雑草と化するのではないかという懸念が強まる。
たとえば、低温の春に発芽を早める新しい遺伝子導入作物は、次の生育シーズンの初めには雑草と化して、同じ畑で栽培する予定の他の作物に深刻な影響を与えかねない。
(b)、遺伝子流出に伴う危険
遺伝子導入作物と近縁の野性種の間の遺伝子流出により、除草剤、害虫、ウイルスに対する耐性のある導入遺伝子も受粉によって流出し、近縁の野性種のゲノムに入り込み、除草剤、害虫、ウイルスに耐性のある雑草を作り出しはしないかという懸念。
*1996年、デンマークの放出実験で明らかになった――除草剤耐性遺伝子を組み込んだアブラナをごく近くに野性のアブラナが生えている野原のそばの畑に植えた。両方の植物は受粉しあって雑種を生み出した。この雑種は、野性のアブラナとしての特徴を持った植物となった。この新しい野性種の第二世代の42%は除草剤に耐性のあることが判明。
「自然環境に放出された遺伝子はいずれ逃げ出していき、実際に、或る形の汚染を引き起こす」(植物生理学の教授A・ド・ズーデン)
*1996年、フィリピンでBt遺伝子を組み込んだコメを栽培する実験の承認を求めているが、一部の昆虫学者は憂慮し、コメは風で受粉するので、このBt遺伝子が近隣の野性の草に広がり、雑草に害虫耐性を与え、さらにそれに耐えるスーパー害虫を作る可能性を懸念している。

(6)、細菌兵器の開発――スーパー病原体の開発――
テクノロジーと戦争の関係は、バイオテクノロジーに匹敵する前代未聞の技術である原子力利用の経験・歴史を考えれば明白。バイオテクノロジーでも、原子力の歴史とほぼ同様の歩みを辿ることになる筈。核戦争が人類の生存の危機であるように、生物戦争もまた人類の生存の危機としてこれと向き合わざるを得ない。

1980年代までは、生物兵器は、大量の毒性物質を加工し備蓄するのに大変な危険と出費が伴い、また生物兵器を標的に向けて正確に散布することが技術的に困難だったという理由で非現実的だった。
しかし、この10年の遺伝子組換技術の飛躍的な進歩は、生物兵器の製造もまた現実のものとなった。
1986年、米国国防省の下院への報告:
組替えDNAをはじめとする遺伝子組換技術により、ついに生物兵器が有効な軍事的選択肢になった。今や伝統的な病原体をクローニングして、以前には微量にしか入手できなかったものが、到底考えられなかったほど大量にかつ比較的低コストで生産されている。また、このテクノロジーは、これまでになかった新しい病原体を「無限に近く多くの種類を」開発するのにも使われている。
            ↑
しかし、ここでも核兵器と同様の課題に直面している。
19868月、国防次官の証言:新しい生物兵器は数時間で生産できるが、その解毒剤の生産には何年もかかるだろう。たった一つの生物――エイズ・ウイルス――をやっつける手段の開発にすら多年の歳月と何百万ドルという資金が投入されながら、いまだ成果があがっていないのである。

「(核兵器により)地球上のあらゆる生き物を40回も殺戮する能力を持ち合わせていながら、我々はまだ、工業化の大成功が根絶やしにした蝶のたくさんの種類の、たった1つを蘇らせることすらできないのである」(ミヒャエル・エンデ)

また、生物兵器は核兵器以上に世界各国に拡散する。なぜなら、核技術とちがい、遺伝子操作による生物兵器は開発費も生産費も安上がりで、科学的専門知識ははるかに少なくて済むほか、多種多様な状況で効果的に利用できるから。

では、生物戦争防止のため、生物兵器の開発禁止ができないか。ここでも核兵器と同様の課題に直面する――各国は、口を揃えて、生物兵器の開発はあくまでも防衛のためである、と。
            ↑
しかし、戦争の歴史上、常に「防衛のため」という大義名分で戦争の準備は進められてきた。
また、仮に生物兵器の開発禁止を定めても、生物兵器の開発と致死的毒素の平和利用とを区別することは不可能。つまり、致死的毒素の平和利用はいつでも容易に生物兵器の開発に転化できる。

*生物兵器をめぐる実例
イラクは、湾岸戦争の間、致死的なポツリヌス毒素や炭そ菌などの生物兵器1万1000ポンド以上を搭載した25個のミサイル弾頭を準備していた。それは220ポンドの炭そ菌を航空機でワシントン上空で放出しただけで、300万人を殺せることが分かった。イラクのスカッド・ミサイルには致死的な炭そ菌がその2倍も充填されていた。
のちに明らかになったが、このときサダム・フセインが生物兵器を使用しなかったのは、ベーカー国務長官から警告が伝えられ、そのような行為に対して「非常に厳しい対抗手段」を講ずると言われたからだという。それは首都バクダッドに核爆弾を投下する可能性を示唆していた。

*1995年の調査:CIAは以下の17ヶ国が生物兵器を開発し、備蓄していると報告。
イラク イラン リビア シリア 北朝鮮 韓国 台湾 中国 イスラエル エジプト ヴェトナム ラオス キューバ ブルガリア インド 南アフリカ ロシア (さらに米国)

生物兵器の開発が進めば進むほど、新たな脅威にも直面。
 生物兵器が偶然発射される危険性も高まる。cf.「博士の異常な愛情‥‥」
また、たとえいかに冷静で安全だとしても、洪水や火災といった自然災害で流出する危険性がある。
テロリストや無法者が目をつけ、利用する危険性も高まる。

(7)、動物への脅威――動物公害――
  ここでの最大の問題は、動物への脅威に対する社会の関心がはるかに低いということ。
遺伝子実験の中で、動物を一層苦しめる結果になっている。
動物の染色体への遺伝子導入が場当たり的
導入遺伝子が受入動物の本来の遺伝子を破壊すると、結果として突然変異が生ずることがある。
ミバエ遺伝子とウイルス遺伝子からなる導入遺伝子が胚に導入されたマウスが、生まれてきたら、後肢の欠損、顔裂、脳欠損といった極度の異常があらわれた。
導入遺伝子の初代受入動物から子孫への伝達はしばしばうまくいかず、そのため動物を追加して何百回も実験をくり返さないと、求めている系の開発に成功しない。
導入遺伝子は或る臓器全体にひとしく産生物を作るかもしれないが、その臓器の部位によって異なる効果をもつ場合がある。
発生段階のマウスに、癌遺伝子とその癌遺伝子を心臓の上下の部屋でひとしく活性化させるために或る遺伝子をのプロモータを組み込んだところ、生まれたマウスは、心臓の右心房がとめどなく肥大して通常の数百倍になった。
遺伝子導入動物の多くは、成長速度を速め、体重を増やし、脂肪を減らすことを目的としているが、このようなことは、必然的に動物のストレスを高め、病気のリスクを増やし、不要な苦しみを与えることになる。

*1994年、米農務省の研究者が、より成長が早くより大きなブタを作り出す目的で、ヒト成長ホルモン遺伝子をブタの胚に注入した。結果は、生まれたブタの数匹に、異様に毛深く、関節炎にかかり、内斜視で不活発で、筋肉は退化して、衰弱して殆ど歩けなかったというひどい異常が発生。

*1993年、モンサント社がミルク生産量が20%増やす目的で開発し、鳴り物入りで宣伝されたポシラックという成長ホルモン剤がある。遺伝子組換された成長ホルモン剤のウシへの注射は、しばしばそのストレスからウシが病気になり、苦しがることがある。この成長ホルモン剤のパッケージには次のような警告文が記されている。
注射したウシの妊娠率が低下する場合がある。ポシラックに使用に関連して、卵のうの肥厚や子宮の異常が見られた。‥‥ポシラックを注射されたウシは乳房炎にかかる危険性が高い。

(8)、動物公害に関する倫理問題
1995年、AP通信の世論調査:アメリカ人の67%の意見
「動物にもみずからの自然かつ本質的な利益を追求する権利があり、動物が苦痛なく生きる権利は、人が個人として苦痛なく生きる権利と同じように重要である」 
       ↑
 バイオテクノロジーの研究者は、「科学に道徳や倫理は何の役割も果さない」と反論。
ノーベル賞を受賞したデヴィッド・ボルティモア博士も「法律に『道徳的かつ倫理的に容認しがたい』行為について書き込むこと」に断固として反対。なぜなら「それらは主観的な意見であり、そのため全く議論の論拠にならないから」つまり、
自然や種に関する自分たちの見方は、「客観的真実」によって形成され、それは、「主観的な」人間の価値観によって汚されるも影響されもしないという立場である。
       ↑
ここに、これまでくり返されてきた(とりわけ原爆により深刻な問題として提起された)
「科学と倫理・道徳の関係」という古典的問題が反復されている。
さらには、より視野を広げれば、これまで「芸術と倫理・道徳の関係」或いは「文学と政治の関係」といった古典的な問題とも連動する。
たとえば、これまで問題提起され、解決しないままに放置してきた「『チャタレー夫人の恋人』とわいせつ罪との関係」「『宴のあと』とプライバシーの侵害の関係」や、近年であれば、柳美里の出版差止事件の問題とこの問題は構造的に同型である。

(9)、人間の健康への脅威
①.現在、最も深刻な問題が、遺伝子組換食品によるアレルギー誘発。
       ↑
1992年、米国食品医薬品局(FDA)は、「遺伝子組換食品に特別な表示を義務付けることはないだろう」と、バイオテクノロジー企業に極めて寛大な、かつアレルギー体質で悩む人には残忍酷薄な声明を出した。
       ↑
食品関係者・専門家から、いっせいに抗議・批判の声。
1996年、ブラジル産の栗の遺伝子を挿入した遺伝子組換大豆が、栗にアレルギーを持つ人々にアレルギー反応を起こす子可能性があることを、ネブラスカ大学の研究者が発見。→ これらの批判に説得力を付与。
食物に組み込まれる遺伝子の多くは、これまで人間の食物となったことがない植物、微生物、動物から採取したものだった。
       ↓
FDA、アレルギーを引き起こすと知られている生物の遺伝子が組み込まれた食品について、表示義務を認める。×全ての遺伝子挿入食品の表示義務

バイオテクノロジー企業、これから数年のうちに、何千もの遺伝子、それもバクテリア、ウイルス、カビ、食物とされない植物や動物(ヒトも含む)から採取した遺伝子を組み込む予定。
       ↑
治療法の分からない新種のアレルギー反応を引き起こす――中には重大で生命を脅かすものすらある――現実的可能性がある。

②.異種間臓器移植の問題
研究者からの警告:遺伝子変更された動物の臓器をヒトに移植することにより、動物ウイルスが種の境界をこえて、治療法の全くない新しい致死的なウイルス性流行病を生み出す恐れがある。
        ↓その詳細は、 
  1、バイオテクノロジーの輝かしい未来1頁)
        ↑
この問題に対する米政府の対応:ここでもまた、歴史的な決まり文句を反復
1996年、「感染症の病原体が‥‥動物から被移植者の人間に伝染する可能性は十分にある。」にもかかわらず、その締めくくりは、「異種間臓器移植の潜在的な恩恵は非常に大きく、このリスクを正当化するに足りる」(政府医事委員会の所見)

(10)、バイオ産業の不条理――遺伝子プールの枯渇――
 遺伝子プールとは‥‥
  互いに交配が可能な同じ種の集まり(メンデル集団)の持つ、遺伝子の総量のこと。
  遺伝的多様性とは‥‥
 種の中で、個体ごとの 遺伝子 構成の変種(バリエーション)が豊富なことを「遺伝的に多様である」と表現する。
 遺伝子構成のバリエーションがとぼしくて似たような形質の個体ばかりだと、突発的な病気の発生や環境変化にすべての個体がやられてしまったり、 稔性(ねんせい fertility:繁殖の可能性)が低下したりして、種が絶滅しやすくなってしまう。

 バイオ産業の不条理:「遺伝子プールの枯渇」に向う。
①.        もっか、遺伝子プールが豊かになるような「有用な」遺伝子を実験室で作り出すことは不可能。
         ↓
そうした遺伝子をどこから手に入れるのかというと、
採取産業
 
(a)、自然界から採取
(b)、栽培農作物や飼育動物品種から採取   ∴ バイオ産業の本質は

②.他方で、バイオテクノロジーの結果、企業は「完全な」製品を求めて遺伝子の均一化が進み、未来のバイオ産業の成功にとって不可欠の「遺伝子的多様性」そのものを奪い去ることになる。

生物的多様性の重要性:150年以上農業に猛威をふるってきた「べと病」の経験
純粋株を単一栽培する近代農業の結果、作物はウイルス、バクテリア、カビによる病気に対する抵抗力を弱め、それが「べと病」となって現われた。
1845年、アイルランドの飢饉(「べと病」によりジャガイモが全滅)
         ↓対策
その病気に強い遺伝子を持つ新しい作物に切り替える。
ただし、近代農法のまま単一栽培を続ける限り、この作物もいずれ「べと病」にかかる条件を備えていた。

遺伝的多様性の現状と未来:
*国連の食糧農業機構(FAO)は約4万種の植物種が、21世紀の半ばには消滅すると推計。FAO事務局長の警告「これらが失われることは世界の食糧確保に重大な脅威となる」
*家畜の放牧の行き過ぎ、樹木の伐採、人間の居住地の拡大により、アンデスの野性のジャガイモは絶滅の危機にある。
*ヤギの放牧の行き過ぎのため、ペルーのトマトの野性種は絶滅の危機にある。
*企業の石油探査のため、中央アメリカのココアの変種が絶滅した。
*合衆国原産25000種の植物のうち、3000~5000種が絶滅寸前。
*中南米の植物種のうち数千種が今後100年以内に絶滅するだろうと予測(ハーヴァード大学の生物学者E・O・ウィルソン)
*多雨林の破壊が現在の割合で進めば、多雨林の半分は2022年までには消滅。それが原因で絶滅する種の総数は20~25%(同)
*現在、毎年27000種の動植物種が絶滅している(同)
*世界の大豆の75%を占める米国の大豆は単品種栽培。
*米国で栽培されていた75種類の野菜のうち、全ての品種の97%が、この80年で消滅した。
*米国のリンゴは、19世紀に栽培されていた7098品種の6121が20世紀に消滅した。
*米国のナシは、19世紀に栽培されていた2683品種の2354が20世紀に消滅した。
*米国では、10品種の小麦が生産量の71%を、6品種のトウモロコシが生産量の71%を占めている。
*インドでは、50年前まで、農家が栽培しているコメの品種は3万以上だったが、今は、近代品種10種が、生産量の75%以上を占めている。
          ↓
結論「我々は、今、地質学史上、大絶滅の発作の真っ只中にいる」
  あたかも「屋根を直すのに、基礎の石を取っている」状況に酷似。
          ↑
これを商業的な利益に換算するとどうなるか?
これまでの工業国の人たちの発想:野生生物を商業的な財産というより、「美的、情緒的、娯楽的」資源だ、と。
しかし、現実には、米国の国内総生産の4.5%は野性種に由来する。
          ↑
農業バイオ産業の方針:世界中で単品種栽培として植えることのできる「完全な」製品=成長が早く収穫量の多い、より多様な環境・気候にも耐え、病気に負けないスグレモノの品種=スーパー種子を作り出すこと。
しかも、クローニング組織培養のテクニックにより、生物コピーを短時間で大量生産することが可能。
          ↑
【その評価】
短期的に見れば、コスト効率がよく、市場でよく売れるにちがいない。
しかし、長期的に見れば、そのスグレモノだけが単品種栽培として通用し、結果的に「遺伝子プール」を枯渇し、遺伝子組換植物に打ち勝つ雑草、昆虫、ウイルス、カビの出現にいとも容易にお手上げとなってしまう。
しかも、長期間にわたり植物に耐性を組み込ませてきた伝統的な品種改良の複雑さに比較すれば、新しい遺伝子導入法は、わずか1つか2つの遺伝子の特性に依拠しているだけの至って原始的なものであるため、雑草、昆虫、ウイルス、カビは簡単に勝つことができ、導入遺伝子はごく短期間で役に立たなくなる(それに比べ、伝統的な栽培品種は何百もの遺伝子を持っていて、それらが無数のやり方で一緒に働き、病気を撃退できる)。

農業バイオ産業の汚染:遺伝子組換作物の導入により、いま、世界に残存する生物的多様性の中心地(近縁の野性種と伝統的な品種の両方を持っている地域のこと)が汚染され、枯渇する危険が大きい。
         ↑
しかし、各国政府は、この深刻な問題に対処する姿勢を見せない。
         ↑
その理由:バイオ産業の巨大な圧力がかかっているから。
         ↓
それどころか、バイオ産業は、枯渇の危機にある「生物的多様性」資源への支配を強めている。
ここでもまた、自らの方針・行為により危機を作り出しておきながら、なおかつその危機を己の経済的支配のチャンスにするという、過去のえげつない歴史をくり返している。

こうして、歴史上、人類の共有財産だった「世界の種子」が、1世紀足らずのうちに、一握りの企業の手により、「生物的多様性」の危機に追い込まれ、なおかつ彼らの支配下に置かれようとしている。
こんなことが許されることなのだろうか。

筆者の結論:第二の創世記として実験室で考えられた地球への種の播きなおしは、短期的には市場でうらやむべき成功と利益をあげるだろう。その恐るべき遺伝テクノロジーは、しかし、生物圏の複雑な仕組みについての知識が全く欠けており、この新しい植民地化には羅針盤がない。この航海の導き手となる予測生態学もない。最後に、この人工的な新世界は、(原子力産業と同様)予測不可能でしぶとい自然の手にかかって失敗し、航路を見失い、漂流することになるだろう。【164頁】
         ↑
しかし、その失敗が同時に、これまで営々と築いてきた世界の「生物的多様性」を枯渇させ、なおかつ残った世界の種子がバイオ産業の支配化に置かれるのだとしたら、このバイオ産業の壮大な失敗をただ傍観して済むことではない。地球にとって取り返しのつかない結果になるのだから。


(1)、序
1932年、オルダス・ハックスリー、反ユートピア小説「すばらしい新世界」書く。
         ↑
しかし、彼は、ここで描かれた優生学的文明という彼のビジョンが、20世紀末には現実のものになろうとしているとは想像できなかったのではないか。

今や、ヒトゲノムのマッピング、遺伝による病気・異常をスクリーニングする能力の向上、新しい生殖技術、ヒトの遺伝子を操作する新しいテクニックの登場、これらはすべて、
ビジネス的な優生学的文明の幕開けの技術的基盤を確立するもの
         ↓
つまり、ヒトの遺伝子スクリーニングと治療により、歴史上初めて、ヒトという種の遺伝的青写真を操作して、地球上における我々の生物的進化のコースを改めて方向づけられるかもしれないのだ。
ザックリ言えば、「新しい優生学的な男女を作り上げる」という見通しが、ただの夢ではなく、すぐ目の前に迫った消費者の選択肢として登場。

(2)、遺伝子工学と優生学の関係
優生学(eugenics)とは‥‥
人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、
(a)人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは
(b)積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。
 eugenicsの語は1883年にイギリスのF・ゴルトン Francis Galton(ダーウィンの従兄) が初めて使った。ギリシャ語で「よいタネ」を意味する。19世紀後半から20世紀にかけて、全世界で大きな動きとなり、強制的な不妊手術なども行われた。施設への隔離収容をこの流れの中に捉えることもできる。

遺伝子工学:工学という本来の性格からして、否応なしに優生学の手段となる。
      或いは、優生学の考え方が遺伝子工学の中に入り込むのは不可避。
         ↓
だとしたら、バイオテクノロジーという新しいテクノロジー革命の意味を考え抜くためには、優生学の問題を避けて通れない。

(3)、優生学の歴史の意味
優生学の2つの側面
(1)、消極的優生学
 望ましくない生物的特性を計画的に「排除」すること
(2)、積極的優生学
選択的に品種改良をすることによって、或る生物や種の特徴を「改善」「改良」すること。
        ↑
優生学が初めて真の故郷を発見したのは、20世紀初頭のアメリカ。
ただし、当時は、テクノロジーの限界により、その多くの目標をユートピアとして夢想することしかできなかった。
         ↓
しかし、今や、その目標は、新しいテクノロジー革命の到来により、実現可能となった。
そのため、アメリカの優生学の(栄光と悪夢の)過去が「ふたたび反復され得る」ことをはっきりと認識しておく必要がある。

(4)、アメリカの優生学の過去
1913年、米大統領セオドア・ルーズベルトみずから曰く:
正しいタイプの良き市民の第一の、避けることのできない義務とは、彼らの血を後世に残すことである。そして、悪いタイプの市民がはびこるのを容認すべきではない。いつか、我々はそのことを悟るときが来るであろう。
文明の重要な問題とは、住民の中で、より価値の少ない者、或いは有害な者と比べ、価値のある者が漸次的に増加するよう確保することである。
          ↑
これは、その後のアメリカ史の書物から殆ど削除された当時のイデオロギー運動の数百万人の支持者の考え方を代弁。

優生学の台頭とその背景
 ファシズムの台頭と酷似。
エスカレートする貧困、犯罪、社会不安といった当時の経済的不公平と社会的病弊に有効に対処できない社会情勢の中で、これを治療する特効薬として、多くの知的エリートたちの支持を受ける。
          
 1890年代、大量移民の波が押し寄せ、都市にスラム街が雨後のタケノコのようにできる。
 好戦的な労働組合の結成が盛んとなり、労働争議が燃焼。
 ロシア革命の成功による共産主義に対する恐怖心の発生。
これらを背景として、ワプス(白人アングロサクソン系プロテスタント)のエリートたちは、国の経済と政治機構への自分たちのリーダーシップが失われてきたことに危機感と被害妄想を募らせた。
他方で、学者や専門家たちは、それまでの自分たちの社会、経済政策の失敗の原因を探しており、その答えを優生学に見出した――「人々の行動を決定するのは環境ではなく、遺伝である」という優生学の前提は、彼らが必要としていた言い訳(社会を襲う罪悪は労働者階級の責任であるといった)として、抗しがたい魅力を放った。
          ↓
その結果、アメリカの保守的な支配階級は、中産階級の学者や専門家と協力して、合衆国に優生学的政策という考え方を推進する共同戦線を張った。
           ↓
 アメリカの指導的な遺伝学者たちは、一夜にして優生学を世俗の福音主義に変え、大学の講堂で、専門家の会議で、国のすみずみまで遊説先で、新しく発見した教義を説いた――アメリカの救済はひとえに望ましくないタイプを排除し、すぐれた素質の男女の子孫を増やすという解決策にかかっている、と。
彼らは、歴史の教訓の通り、恐怖を説き、そこからの救済を説いた。
「アメリカ国民の遺伝的な質の衰弱と考えられる事態を怖れた」
「わが国の人種には知的にも道徳的にも、また進取の気性という点でも世界で最も優れた人々が含まれている。しかし、望ましくないタイプの人間が不釣り合いなくらい沢山いる」
「我々の文明の運命は、この問題にかかっている」
「我々は優生学について十分な知識がある。従って、その知識を応用すれば、正常でない階層は一世代のうちに消えるだろう」

1910年以降、アメリカ中の都市に優生学関係の協会が設立。
1922年、米国優生学委員会が結成。
優生学のイデオロギーと一致するように政治形態を根本的に変えることを求める声が出る。
1921年、ハーバード大学心理学部の学部長ウィリアム・マクドゥーガルの公的な提唱:
民主主義の政体では最終的に「劣った人たち」が「最良の人たち」を数で圧倒し、国家の政治形態を乗っ取ることになるから、生物的差異に基づくカースト制度をアメリカに導入して、政治的権利は各自のカーストによって決まるようにすべきである、と。
1921年、(2年後の米大統領)クーリッジが雑誌「グッド・ハウスキーピング」に寄稿。
「人種という考慮すべき問題があり、これは極めて重大なので感傷的な理由で無視するわけにはいかない。」北欧ゲルマン系は繁殖に成功しているが、「他の人種と交わることで、その結果、双方の質が低下している」

優生学的政策:不妊法の制定
1907年、インディアナ州、最初の不妊法を制定。
常習的な犯罪者などは、専門家の委員会の承認の下、州の施設で強制的に不妊手術を受けさせられる。
1931年までに、30州が不妊法を制定。何万人ものアメリカ市民が強制的に「治療」させられた。

(5)、優生学的な政策――移民制限法の制定――

当時の優生学運動の最大の成果:優生学立場に基づいた移民制限法の制定。
1924年、制定(1965年まで存続)
*当時の労働長官デーヴィス「アメリカは常に基本的な人種系として、いわゆる北欧ゲルマン系人種をもっていることを誇ってきた‥‥我々は、この国の法律の下で同化できないあらゆる人種の、さらには肉体的、知的、道徳的、精神的に望ましくなく、わが文明の脅威となるあらゆる個人が海岸から上陸してくるのを禁止すべきである」
*下院議員ロバート・アレン「外国人の流入を制限する第一の理由は、アメリカの血液を浄化し、純潔を保つ必要があるからだ」
*下院議員トマス・V・フィリップ「我々は、邪悪な手に負えない動物を移入させるほどバカではない。それどころか、海外からの理性的、慎重な選択を通じて、国内の動物の血統を改善するようあらゆる努力をしている。‥‥もしアメリカ市民の急速な劣化を防ぎたかったら、我々は、立法機関を通じて移民を精選するための人為的な手段を取らなければならない」

(6)、優生学運動の衰退

皮肉にも、優生学運動を崩壊させたのは別のイデオロギー運動などではなく、1929年の大恐慌という現実の事件だった。この事件で、人種的に優れているとされた北欧ゲルマン系も専門家や学者も人種的に劣っているとされていた人たち(イタリア人、ポーランド人、ユダヤ人など)の移民たちと一緒に失業者の列に加わる事態になったため、特定の人種が優れているという神話も一緒に崩壊した。

しかし、この衰退した運動は素晴らしい後継者を見出した――ドイツのナチスという。
当時のドイツの指導的な優生学者はこう言った。
「我々人種浄化論者が推進しようとしていることは、全く新しくも、前代未聞でもない。第一級の文化国家たるアメリカ合衆国は、我々がいま目指していることをずっと以前に導入している。まことに明瞭かつ単純なことなのだ」
1933年、ナチスの第三帝国、政権獲得。その直後のフリック内務相の声明
「第三帝国の人種浄化の運命とドイツ国民はしっかりと一体化するであろう」
同年7月、「遺伝健康法」制定。優生学的強制不妊の法律で、以後12年間にわたり何百万人の生命を剥奪するスタートとなった。
        ↑
1934年、アメリカの優生学者の反応
「推進中の政策は、あらゆる文明国の優生学者の思想の精髄に一致している」
1930年代を通じ、アメリカの遺伝学会は年次総会のたびに、第三帝国の優生学的政策を正式に非難するかどうかを繰り返し論議していたが、しかし、賛成が多数を占めることはなかった。
1936年、ドイツのハイデルベルク大学、アメリカの優生学的政策の中心人物ハリー・H・ラフリンに、優生学の分野に大きな貢献をしたとして名誉学位を授与。

(7)、「ユーザーにやさしい」新しい優生学の誕生
第三帝国の崩壊とともに、優生学運動は息の根を止めたかと思われた。
        ↓
その予測は、見事、覆された。
1970年代、分子生物学という新しい分野の学問が出現。
科学者により開発された遺伝子操作をきっかけに、再び、優生学運動が復活する可能性に直面。
∵ 遺伝子操作のプロセス=「どの遺伝子を選んで組み込み、どの遺伝子を取り除くべきかという選択」の中で、暗黙のうちに、どの遺伝子が組み込まれ保全される価値のあるよい遺伝子で、どの遺伝子が排除されるべき悪い遺伝子であるかを決定している。この決定こそ、優生学そのもの。

ただし、その様相は、昔の優生学運動とはちがっている。
かつての優生学運動:社会的な危機を背景に、その想像的な政治的解決手段として持ち出された。
          あからさまに政治的イデオロギーに染まり、恐怖と憎悪により動機づけられた。

新たな優生学運動:社会的、経済的恩恵をもたらす新しいビジネスチャンスとして、動機づけられた。
強調点も、「より経済効果が上昇」「すぐれた性能」「生活の質の向上」といった消費者の経済的、文化的欲望に注がれている。
         「より健康な赤ん坊を望むことがいけないことだろうか」
         =未来の世代の「芸術品」の誕生

(8)、究極の治療法=遺伝子操作療法
 ヒトの遺伝子操作療法の種類
①体細胞療法
  体細胞の内部に限られるため、遺伝子の変化は子孫には伝わらない。
 ②生殖細胞系療法
  精子・卵子・胚細胞の中で行なうため、遺伝子の変化が未来の世代に伝えられる。
 
 1990年、米国で、ADA欠損症の少女に初めて体細胞療法が実施。
手順
(a)、少女の身体から白血球細胞が取出され、それにアデノシンデアミナーゼ産生遺伝子が組み込まれた。
(b)、ベクター(遺伝子の運び屋)として、遺伝子変更された動物のレトロウイルスが使用。
(c)、アデノシンデアミナーゼ産生遺伝子が組み込まれた細胞を再び少女の体内に戻した。
        ↑
メディア、「医学の大飛躍」と報道。
ハーバード大学医学部の小児科教授スチュアート・オーキン教授「完璧に客観的な科学者から、この実験に対する抗議の声がもっとあがらなかったことに非常に驚いている」
遺伝子治療の先駆者リチャード・マリガン博士「私に娘がいて、ADA欠損症にかかっていたとしたら、あの連中には絶対近づかないようにさせる」

∵ 現在の遺伝子治療のテクノロジーは依然場当たり的:患者の染色体に変更遺伝子を挿入することさえ、染色体のどの部分に変更遺伝子がくっつくか予測できず、なりゆきまかせ。そのため、うっかり他の細胞の機能を破壊する恐れすらある。さらに、たとえ変更遺伝子が望ましい部位についてくれたとしても、そこに望ましい形質を発現するという保証はない。
       ↓
5年間に106件の実験的遺伝子治療の臨床実験が597名以上の患者に実施された。
国立衛生研究所の監視委員会委員長「信頼できる結果はひとつも発見できなかった」

1980年代から、生殖細胞系療法の是非をめぐって論争。
反対派:社会を再び優生学の時代という危機に直面させる。
    その治療法が生物種としての我々及び分明に及ぼす影響は予測不可能。余りにリスクが大。

賛成派:治療の効果として、当人しか治療の効果がない体細胞療法に比べてスグレモノ。
    治療の方法としても、体細胞療法に比べより少ないコスト、より少ない肉体的苦痛で可能。
    
(9)、すべりやすい坂道
仮に、生殖細胞系療法が可能になったとしても、
胎児テストの結果から、親はどのように決断をすればいいのだろうか。
       ↓
テストされる遺伝子病の多くは、軽微なものから重い虚弱質まで、病状の現われ方が多様。
発病の時期も、幼児期からずっとあとになってから発病するものと多様。
また発病の可能性も様々。生涯発病しないかもしれない。
       ↑
こうした決断の苦しみから免れるために、予め、悪い「遺伝子」の持ち主との結婚を避けようとする者が出てくるだろう。
【実例】
アメリカの正統派ユダヤ教徒社会の一部で、ユダヤ人のあらゆる青年男女にテイ・サックス病のスクリーニング・テストを受けさせる全米規模の計画を策定。テストの結果は、アクセスしやすいデータベースにして、適齢期の男女が、遺伝子を念頭に未来の配偶者を選べるようにする。
       ↑
改めて、「遺伝子による差別」の問題が発生。

(10)、遺伝的責任
 
生殖細胞系療法が可能になったとき、親に対し、新たに、「お腹の子供に人間としてできる限り安全で安定した環境を与える責任が発生するかもしれない。
つまり、それを怠ることが親の義務違反となる時代が来るかもしれない。
       ↑
現在、既に、
*コカイン中毒の赤ん坊、アルコール中毒の赤ん坊を産んだことに対して、親は児童虐待法の責任を問われている。
*胎児の健康上の潜在的問題について医師が親に助言をしなかったこと、或いはスクリーニング法について情報を与えなかったことが医師の怠慢であるとして、「不当な生命」「不当な出生」にかかわる訴訟が300件以上、登場。
【先駆的訴訟】
1975年、パーマン夫妻V医師の訴訟。パーマン夫人が38歳で妊娠したとき、高齢出産のためダウン症候群の子が産まれる危険性があったにもかかわらず、医師たちは怠慢で羊水穿刺を勧める助言をしなかった。もしその助言を受け、ダウン症候群の子ができると分かっていれば妊娠中絶をしていただろう。よって、
(a)、「不当な生命」の主張として、子供が一生経験する苦しみに対する賠償と、
(b)、「不当な出生」の主張として、親自身の精神的苦痛に賠償を求めた。
       ↓
裁判所の判断
(a)、「不当な生命」の主張は退ける。
(b)、「不当な出生」の主張は認める。

(11)、種の改善への門戸開放
もし、生殖細胞系療法という強力なテクノロジーを使って、重大な「遺伝的異常」を排除することが容認される(さらには、排除する責任があると認められる)ようになると、
       ↓
もはや、この強力なテクノロジーを使って、種の改善をするのをためらう理由はない。
∵ 両者を区別する一線はないから。
例えば、糖尿病、ガンなどが遺伝子組換により防げるとなれば、近視や色盲、失語症、肥満、左利きなどまでそれを拡大して何が悪い?
だとすれば、遺伝子組換により肌の色を変えることをして何が悪い?
さらには、子孫の幸福を高める可能性のある遺伝子変更をして何が悪い?

【実例】病気の発明
元々全米で数千人いる小人症の児童に売る目的で独占的販売の権利を付与されて発売された「新成長ホルモン剤(遺伝子操作で製造)が、予想を裏切って、国内でベストセラーの薬品になった(売上高80~100億ドル)。
∵ 回りより背が低いと思われている多くの子供たちが服用
       ↓
ボロ儲けした製薬会社は、市場を確保しておくために、積極的な宣伝活動・販売キャンペーン、地域の医師の助けを借り、背が低いことは「病気」であると定義を変更にするのに成功。
          ↓
今後、このような背が低いといった、社会が好ましく思わないからという理由で「異常」と決め付けられ、その「異常」の克服・排除のために、生殖細胞系療法が使用される可能性あり。
それはまさに、バイオ企業の儲けのための「押し」とその企業によって作られたマインド・コントロールに支配された消費者の「引き=受け身の要求」によって動機つけられた優生学。
        ↑
今、唱えられている新優生学は、消費者のニーズに応えることを錦の御旗に掲げる。
英「エコノミスト」
正しい目標は、人々がすることについて、できる限り幅広い選択の道を提供することだ。この目的のために、遺伝子に制限を設けるのではなく、むしろ、遺伝子をそのような自由の道具にすることこそ偉大な前進なのだ。

(12)、暗号を完成させる
  「消費者の自己選択」という発想:一見素晴らしい。
           ↑
   しかし、ここで「遺伝的欠陥の排除」という場合、「欠陥」は果して何を意味するのか?
倫理学者ダニエル・キャラハン
「人間が遺伝的欠陥に抱く嫌悪の背後にひそむのは、完全な人間のイメージだ。『欠陥』『異常』『病気』『リスク』といった言葉自体がそのようなイメージ、完全さの模範のようなものを前提としている。」

【実例】 遺伝的「変異」とはなにか?
進化生物学者:比較的安定した原型の異なる「解釈」或いは「バージョン」のこと。
 


分子生物学者:暗号の「エラー」のこと。
∵ DNAの発見とサイバネティック・モデル及び現代の通信・情報理論により、新しい言語的パラダイムの中で生物現象を捉え直す中で、「エラー」と再解釈されるに至った。
        ↓
  その結果、「悪い」遺伝子の評価について、
分子生物学者:4000種前後の単一遺伝子による病気を人類の遺伝子プールから排除する考えを無条件に支持。∵ それらは、修正が必要な「エラー」にすぎないから。

進化生物学者:遺伝的多様性の豊かな宝庫で、変転極まりない環境や外部からの新しい挑戦にめげずに種の生存能力を維持する上で欠かせないもの。
      ↑
そもそも、我々は、劣性遺伝子が果す数多くの微妙かつ多様な役割を今ようやく認識・理解し始めたばかり。
Ex.鎌状赤血球という劣性形質:マラリアから身を守る役割

  遺伝的多様性から見た生殖細胞系療法の危険性:
   長い目で見ると、遺伝子削除が結果としてヒトの遺伝子プールを危険なほど狭める。
        ↓
   未来の世代が、環境の変化に進化論的な適応を迫られるとき、頼りにできなくなる。  
 
  分子生物学の新しい言語的パラダイムの危険性:
危険を冒してでも(到達不能の)新しい原型――欠陥やエラーのない、憧れの的となる完全な存在――を作り出そうとしていること。
    ↑
その存在は、ヒトが存在し始めたそもそもの最初から我々の特徴となってきた、イボ、しわ、傷つきやすさ、脆さも持たないものである。
また、ヒトはみな無数の致死的な劣性遺伝子を持っている。この立場からみると、ヒトは配線ミス、エラーだらけの暗号に他ならない。
    ↑
分子生物学者は、あたかも、ヒトがもともと持っている劣性遺伝子を「バク」として見つけ出し、プログラムから取り除いて、プログラムの性能を高めるコンピュータ技術者に似ている。
しかし、遺伝子プールを備えたヒトはそもそもコンピュータのような機械なのだろうか?


(1)、序
  社会生物学の登場:ハーバード大学など一流教育機関で出現
        ↑
なにゆえ、このような学問が出現したか?
かつての優生学では、ナチズムなど歴史的な汚点がつきまとう。
そこで、装いを新たに、社会生物学という造語の下に、遺伝子工学の正当化を担う社会科学部門を 
設立=遺伝子工学のイデオロギー部門。

この学問のポイント:「生まれか、育ちか」の論点について、生まれ、言い換えれば遺伝子こそヒトの行動・社会性を決定する要因であるという立場を取り、それを実証しようとする。
              
その帰結:ほぼ全ての人間の行動は何らかの点で遺伝子の構成で決定されており、もし自分の状態を変えたいと望むなら、我々はまず遺伝子を変更しなければならない。

(2)、遺伝子的影響
 気分、行動、性格に遺伝子的基盤を見出そうという研究が、盛んになる。
  Ex.社交性とX染色体
    女性的直感とX染色体
    「スリルを求める」「興奮しやすい」性質の遺伝的基盤の発見
    「極度の不安」をもたらす遺伝子の発見
    「不活発な」タイプの遺伝子の発見
    「アルコール依存症」の遺伝子の発見
    家族関係における「遺伝的要因」の研究
    「自己認識された社会的自信は遺伝しうる」

(3)、遺伝学的に正しい政治
社会生物学を一般社会に当てはめた場合の帰結:
 「遺伝原因説」
深まる社会危機に対して、もはや制度や環境の改革という伝統的な手法では意味のある変化を起こすことができず、今や社会的・経済的な行動の殆どを解明する鍵は遺伝子レベルにある。
        ↓
よって、社会を変えようと思ったら、我々はまず遺伝子を変えようとしなければならない。
∵ 我々の運命は大部分が遺伝子次第だから。
  遺伝子の配列が「人間を定義する」から=われわれは遺伝子である。

1990年代、生物科学者で「遺伝原因説」が支配的となる。
多数の遺伝病が「現在の多くの社会問題の根底にある」、
社会問題を解決するには予防措置によって根底にある遺伝的原因と取り組む必要がある、と。
  Ex.ホームレス
        ↑
もともと、人間の生物的運命を支配する「支配的分子」という根深い考え方の背景には、以下の利害関係が深く反映。
(1)、分子生物学者たちの研究推進にとって極めて有利
(2)、バイオ産業の利潤追求にとって、極めて重要
        ↑
筆者の評価:5080年代の社会改革家が社会の不正を正したいという熱意に駆られる余り、人間の発達の遺伝的基盤を軽視していたとすると、新しい遺伝的改革家は、正反対の位置にいて、余りにも人間の行動を遺伝子だけのせいにしがちである。
         ↓
 新しい生物学の登場:発生遺伝学
「生物の存在・行動を決定するものは遺伝子である」という遺伝子決定論者(遺伝的還元主義者)の立場を採らない。

遺伝子が生物を生み出すのではなく、遺伝子の存在自体が既にそれが置かれた生物の存在を前提としているのであって、発育の過程で遺伝子を解釈し、翻訳し、活用するのは生物そのものである、と。
また、生物は、機械と異なり、置かれた環境からのインプットに敏感で、環境条件がちょっと変わるだけで様々に異なる行動をしてみせ、異なる形を取ることがある。遺伝子は、生物と環境との相互作用(交通)の仕方を示すレシピではなく、単に生物の材料のリストである。よって、遺伝子が生物の成長を決定或いは支配することはない、と。
        ↓
  その意味で、発生遺伝学は、人間と環境との交通(intercourse)が「人間を定義する」という立場。

「遺伝原因説」がもたらした社会・経済問題
→生まれついた性格的特徴と暴力犯罪を犯す傾向の強さを証明しようという研究。
*1992年、「犯罪における遺伝的要因」のテーマの会議に、政府が資金援助。
会議の目的:遺伝学の研究によって、特定の犯罪行動の素因を持つと考えられる個人を特定できるようになる。
    ↑
アフリカ系アメリカ人から、遺伝子による新しい差別につながると抗議。
*1993年、セロトニンのレベルが低い人は、見知らぬ人を殺すなど衝動的な犯罪を犯す傾向が高いことが判明。
*1993年、ハーバード大学のハーンスタイン博士、「スリルを追及し」「落ち着きがなく、衝動的」な遺伝的傾向は、暴力犯罪を作る要因となる可能性があると発表。
*1993年、ハーバード大学のケーガン博士、今後25年以内に、遺伝子検査で、1000人中15人の暴力的傾向のある子供を特定できるようになるだろう、その15人の子供のうち1人は将来暴力犯罪を犯す可能性がある、と発表。
*PETスキャンにより、暴力的な患者の脳内部に特定タイプの異常があることが判明、特定の暴力行動に遺伝的基盤がある可能性が示唆。→カルフォルニア州、PETスキャンが法廷に導入され、判決の決定に際しての補助手段として活用。

(4)、遺伝的差別
   遺伝子スクリーニングと遺伝子工学の出現により、「遺伝子による差別」の出現が予想。
*1996年、遺伝的差別の実態調査の結果、
     保険会社
医療提供者
政府機関
養子斡旋機関
学校
などで広範囲に差別が始まっていたことが判明。
今後、特定の人種、民族に特徴的な遺伝子的特性や素因の特定が進むと、民族や人種全体を遺伝的に差別する可能性がある。 
  ex.アルメニア人:家族性反復性多発性しょう膜炎にかかりやすい
     ユダヤ人:テイ・サックス病、ゴーシェ病を持っている
     アフリカ人:鎌状赤血球を持っている

*雇用主による差別:理由は全領域にわたる。
  ex.化学会社:毒性の高い労働環境に対する遺伝的感受性を測定したい。
     ∵ 医療保険の多額の負担、心身障害の補償請求の懸念

長期の教育と現場での訓練に多額の投資が必要な企業:身体を衰弱させる病気にかからないかどうかを測定したい。

防衛関連会社、航空会社、警察:アルコール依存症や鬱状態、気分の異常を見つけ出す遺伝子検査に関心を抱く

1970年代、アフリカ系アメリカ人、低酸素の環境で鎌状赤血球貧血をおこす恐れがあるという理由で、陸軍士官学校への入学を拒否された。

1989年の調査:企業の15%、2000年までに就職希望者と社員に定期的な遺伝子スクリーニングを実施する計画。
     ↑
今後、遺伝的データを使って、雇用と昇進を決定するようになる可能性大。
その結果、「遺伝的下層階級」を生み出す恐れがある。
     ↑ 
1997年、NY州議会、雇用主が遺伝的素因を理由に労働者を差別することを禁ずる法律を制定。
*遺伝的差別の学校への浸透=病気の発明
80年代までと90年代以降では、生徒の学習・行動の問題の原因を捉える視点がシフト
80年代まで:生徒の環境・社会状況のせい
     ex.運動過剰症 ∵ 心理的、社会的問題と捉えた
        
       注意力欠陥障害 ∵ 子供の脳の化学作用と遺伝的な資質の問題=病気
90年代以降:本人の脳の生物学的構造のせい
    少なからぬ問題が「病気」と定義し直された。
    「文章表現障害」
    「常同性行動障害」
    「読書障害」
      ↑
これを測定するテスト方法も誕生
脳電気活動マッピング:学習障害を診断
コンピュータ脳スキャン法:読書障害を診断
PETスキャンにより、遺伝的な欠陥のおそれのある子供を確定することができる。
      ↑
これらの神経テクノロジーの発達で、子供たちの「遺伝子的分類」=「遺伝的」ハンディキャップを負った子の分類が進む。【231頁】
      ↓その結果
先生と生徒の関係 ――→ 医者と患者の関係
          変化
    教育  ――→  処方箋
             ex.不安:リブリウム。ヴァリウム
               鬱状態:プロザック。ゾロフト
               行動障害:デキセドリン
               鎮静用:ベナドリール

遺伝子決定論により、遺伝子的に問題ありと刻印を押された子には、未来はないことが教え込まれる。先生ももはや期待をかけず、本人も自信を喪失し、さらに落ち込んでいく。→ コロンバイン高校の悲劇の土壌は完成。
      ↓
「遺伝子的階級社会」の到来
生物学者も不可避であることを認める。
プリンストン大学の分子生物学者リー・シルヴァー曰く
あまり遠くない将来、人口の10%を占める遺伝的富裕階級と残りの遺伝的貧困階級とに分化。
前者:特定の人工遺伝子のおかげで形質を高められ、社会の支配階級になっている。
時が経つにつれ、両階級の遺伝的な隔たりは一層開いていき、両者は隔離された社会で生活し育てられる。その結果、両者は全く異なる種となって交配不能となり、現在のヒトがチンパンジーに対するのと同じように、互いに全くロマンティクな関心を抱くこともなくなる。「複製されたヒト」(飛翔社刊)

(5)、困難な選択
  バイオテクノロジー革命の現在:
  一方で、恐ろしい優生学のまぼろしが輪郭を現わしつつある。
他方で、この革命は、自然を支配する近代科学の発展の延長線上にあり、近代科学自身に、限界は定められていなかった。
しかも、バイオテクノロジー革命は我々の目には「恩恵」として、我々の「欲望」をそそるものとして登場する。バイオ産業は、消費者のため選択の自由を拡大するという装いのもとに商品・サービスが提供される。
          ↑
我々は、この不信感と欲望のはざまで、何をどう選択したらいいだろうか。
          ↑
ひとつの視点:数年のサービスの享受といった短期的ではなく、一生の間で、或いは我々の子孫がそれを是認できるかどうかという長期的な観点で考えてみる。
なぜなら、バイオテクノロジーは最初こそめざましいが、終わりがはっきりしない。
         ↑
ここでもまた、19世紀と20世紀に経験を積んだ物理と化学の2つの科学革命の歴史から、貴重な教訓を汲み取るべきである。


(1)、序
これまで(いつものことであるが)、情報化時代の到来は、鳴り物入りで宣伝されてきた。
しかし、コンピュータと通信は、それ自体が目的なのではなく、あくまでもツール、それも強力な新しいツール(=媒体)にほかならない。しかし、活版印刷術というツールの出現が工業化時代の到来に先んじたのと同様、コンピュータと通信というツールもまた、それが最も威力を発揮する対象の出現に先んじた。        ↓
では、コンピュータと通信というツールに最も相応しい対象とは何か?
               ↓
          バイオテクノロジーにほかならない。

(2)、活版印刷術と工業化時代の関係
活版印刷術とは‥‥、
工業化時代の夜明けに、我々の世界・経済を作り変え、我々の認識を変革し、来るべき工業化時代の地ならしをした威力的な情報伝達手段
         ↓
活版印刷術が当時の西欧社会全体に及ぼした影響
=《自然を有機化するための新しい画期的な方法の原型・原点となるもの》
*石炭と蒸気動力により急速に動く複雑な世界を管理する上で不可欠なもの
*印刷テクノロジーは「組み立て(assembly)」というアイデアを導入
アルファベットの文字をバラバラにする。 
バラバラのものは均一で相互にどこにでも入れ替えできる。
再利用が可能
 →工業化社会の様式の基本となるアイデア
*印刷テクノロジーは「空間にモノを厳密に配置する」というアイデアを導入。これによって、大量複製が可能。
活字をチュースという鉄枠に配置
チュースを印刷機に固定することで、全体が均一な配置になる。
合成した活字は、何度でもかつ全く同一のものが複製できる。
→工業化社会の様式の基本となるアイデア
*人間が知識を体系化する方法を定義し直す。
印刷による目次、ページを示す数字、脚注、索引などにより、記憶に代わり、人間の頭を過去を思い出す苦労から解放。
*印刷により導入された図表、グラフなどの視覚的補助手段が、世界を一層正確に描出する上で極めて重要だった。標準的な地図を容易に印刷できるようになり、商業と貿易が拡大。
*印刷により諸々の「契約」「近代的な簿記」「スケジュール」を通じて、複雑化する市場活動を調整し、広範囲にわたる商取引に遅れることなく参加できるようになった。
*印刷により各国の「言語」は広くその地域の一般大衆に行き渡り、ナショナリズムの発達を助長し、国民国家の創造に弾みをつけた。
*印刷は詳細な記録を可能にし、近代の官僚制にとって不可欠なものとなった。
*印刷により、ある現象を順序よく合理的かつ客観的に整理し、直線的かつ連続的に因果関係を考えるような新しい思考方法(ひとつのアイデアに次のアイデアが論理的な順序で続く、考えを「組み立てる」という思考方法)を促した。
*印刷は口頭による言語の冗長さを排し、正確な測定値や記述を可能にすることで、(実験を正確に再現することが可能となり)近代科学の基礎を作った。
*印刷は「著作者」という考え方を重要なものにし、著作者たる個人を際立った地位に押し上げた。
→ある人のアイデアを「独創的」「独特」だと考えることから、個人こそ分明の進歩の原動力とする考え方が育まれた。
→起業家精神と競争的な個人主義の勃興
*印刷により、より冥想的な環境が生み出され、書物は黙って一人で読まれるものとして、個人のプライバシーという新しい感覚を生み出した。なおかつ内省や内観も生み出した。
*印刷により、一般大衆の識字能力が一般化した。

以上、まとめると、
印刷は、封建体制の中で接ぎ木のように出現したものだが、その本来の使命は、
蒸気革命と電気革命のために、工業化時代の言葉と調整方式を提供した点にある。
       ↑
これと同様の意味で、印刷術に匹敵する
現在のコンピュータ革命と通信革命は、工業化時代の中で接ぎ木のように出現したものだが、そ
のコンセプトは、これまでの印刷文化や工業化社会の生活様式の基本的な考え方と相容れないものがある。
 その本来の使命は、未来の新しいバイオテクノロジー市場の遺伝情報の管理にあるというべき。

(3)、生物学の新しい言語
 マルクーハン:
コンピュータ技術と通信技術とは、人間の神経系の外界への延長線
        ↓
 コミュニケーションを有機的にまとめあげるこの新しい画期的な方法は、遺伝子や細胞、臓器、生物、生態系という流動的な世界を構成するダイナミックな動きや相互作用を管理する理想的な手段となる。
  ex. *コンピュータの画面の文字や単語:組替え可能、編集も容易、一時的でうつろいやすいという点で、遺伝子の動的な性質と共通
*電子的なコミュニケーションにより、
  印刷の連続性・因果関係 →全領域にわたるたえまのない総合的活動にとってかわられる。
  主体と客体 → ノードとネットワーク
  構造と機能 → プロセス
  「知識のまとめ方」
  限定的で狭い紙の上の文章 → ハイパーテキスト
  一定数の事実や文章を内臓 → 無制限な情報フィールド
                 脚注も引用文献も無制限に可能
*コンピュータの並行処理は、生命システムのプロセスを反映。
*電子的なコミュニケーションは開かれていて統合的。その反面、限界があいまい。1つのアイデアから別のアイデアに飛躍。複数のアイデアを並列させ、全く関係のない話題にジャンプ。
*分子生物学の歴史上も、クリックとワトソンのDNAの二重らせんが発見されたとき、それは、コンピュータの用語を借りて説明された。→遺伝子の性質を「解読可能な化学的情報でプログラムされた暗号」だと。
*コンピュータの歴史上も、これが開発されたきっかけは、第二次大戦中、おびただしく増大する多種多様な情報を整理し、知的かつ効率的な計画策定方式を考案すべしという米国政府のプロジェクト(オペレーションズ・リサーチ)だった。それがサイバネテックスであり、コンピュータの発明だった。

(4)、サイバネテックス
   様々な現象が、どのように長期にわたって維持されるのかを説明しようとする総合理論。
その現象の活動を、「情報」と「フィードバック」の2つの基本的要素に還元し、あらゆるプロセスは、この2つの増幅として理解できるとする。
「情報」とは、我々が外界に適応するときに、外界とやりとりする内容をいう。従って、情報は、事物とその環境の間で行き来する無数のメッセージと指示で成り立っている。
サイバネテックスとは、こうしたメッセージと指示がいかに相互作用しあって、予測できる行動様式を生み出すかについての理論。
「フィードバック」とは、あらゆる行動を調整する「舵取り」のメカニズムのこと。
「フィードバック」には、外界に適応し直して勢いを失う「消極的フィードバック」と、その変化そのものをエネルギーにしてプロセスを補強しつつ強化していく「積極的フィードバック」がある。
サイバネテックスとは、変化する環境に対して機械が自己調整をしていく仕組みに関する理論。のみならず、機械の意図的な行動を説明する理論。
        ↓
これはすべて「情報処理」に還元される。
 
今日の現状:社会の重要な活動の殆どが、サイバネテックスの原理の支配下に置かれている。
  ex. コンピュータによる「情報処理」
経済システムにおける「情報処理」の重要性のアップ → 今や、企業そのものが、様々な関係からなるネットワークに埋め込まれた情報システムと考えられる。

世界を概念的に説明する方法にも影響を及ぼす。
   工業化時代の説明方法:直線的な機構・単線的な因果関係
      すべてはそれを構成する部分を集めた集合体にすぎない
 
    サイバネティックス: 自動修正的な円循環の機構
すべては統合されたシステムで、環境から新しい情報がたえずフィードバックされることと、システムが継続的に環境に順応していくことの2つが循環性のプロセスを構成。
全ての出来事が何らかの点ですべてに影響を及ぼす=すべてのものが相互に関係。

機械のみならず生物現象に及ぶ[x5] 。=機械工学+生命科学
創始者ウィーナーの狙い:工学用語で生物現象を系統立って説明し、それを厳密な数学的分析の対象とすること。
機械工学と生物現象の唯一の違いは、各自の情報分類及びフィードバック能力を支配する複雑さの程度にすぎない=両者の差異は量的なもので、質的なものではない。 
           ↓
1950年代、生命科学の用語が工学用語によって置き換えられた。
ex.「行動」 → 「性能」
         生物の熱効率、情報効率、資本費用、ランニングコストという基準で説明
           ↓
生物とは「情報システム」のこと、つまり、
「情報を吸収して蓄え、その情報の結果として行動を変える‥‥こうした情報を感知して分類した上で、有機的にまとめる臓器をもつもの」
           ↓
   のみならず、「自然」の定義すら、サイバネティックスから捉え直されるようになった。
かつてのニュートン流のモデル:力の作用のもとにおける粒子の運動
 

新しいモデル:あるシステムの内部における情報を貯蔵し、伝送するもの
         ↑
物質である自然を、非物質である情報によって定義しようというこの(一見無茶な)やり方からして、サイバネティックスがいかに思考の大変革をもたらしたかを示す。

ケンブリッジ大学の動物学者ソープ
「近年における最も重要な生物学の発見(←私見:これは「発明」だ)は、生命というプロセスは、プログラムによって指示されていること‥‥生命はプログラムされた活動であるばかりではなく、自己プログラムされた活動であることを見出したことにある」

生物学者ドーキンス
「生物の分子の結合は、プログラムにしたがってなされている。それはどのように発達すべきかの無数の指令なのだが、生物はそのプログラムをみずからの体内に持っているのだ。たぶん、生物は震え、動悸を打ち、刺激に感応して感動するだろうし、生きている温かみで熱を発するだろうが、こうした特性はみな偶発的にあらわれる。あらゆる生物の核心にあるのは火でも温かい息でもなく、「生命の火花」でもない。それは情報であり、言葉であり、指示である。‥‥生命を理解したいのであれば、震えて律動的に震動するゼリー状のものや分泌液を思い浮かべるのではなく、情報技術について考えるのがよい」

進化とは‥‥
「生物が情報を修正し、他の情報を獲得していくプロセスである」(フランスの生物学者グラッセ)

ただし、遺伝子(DNA)の位置付けについては、生物学者の中で、対立があった。
ワトソンら多くの遺伝的還元主義者(遺伝原理主義者):DNAが生物の唯一の創造者である。
     
(発生遺伝学的)立場:DNAは細胞の他の部分、臓器、または外界との間でたえず情報のやり取りをし、変化する外界の合図に対応して生物が自己調節できるようになっている。=遺伝子、生物、環境のサイバネティックス的関係

(5)、コンピュータと遺伝子の結婚
情報科学と生命科学の結合の重要性:「21世紀に用意された広い運動場」
「現代生物学の主要部分は、DNA分子と同様――さらには、現代の企業や政治機構と同様、情報ネットワークの一部になってしまった。」(MITの科学史教授ケラー)

 分子生物学者の目標:21世紀末までに、数十万種の生物のゲノムを解読し、データベース化すること。
            ↓
 ヒトの完全な塩基配列だけでも、1000頁の電話帳にして200冊分になる。
 その何百万倍のデータの保存・管理・更新が必要となる。
            ↓
 その管理は、コンピュータとデータベースでやるほかない。
 しかも、これまでの商業用、工学用データベースでは使い物にならず、新たに「概念をその定義が発達するままに提供することができ、実験場のエラーも見越した生物学的データベースを作り出す」必要がある。
自然界全体を遺伝子レベルで統合しなおすことは、これまで考えられた中で最大の整理能力を必要とする作業。その入り組んだ関係を理解し記録するために、今までにない複雑なシステムを開発する必要がある。
要するに、ゲノム・マッピング事業が生み出す情報の洪水をいかにうまく処理するか
          ↓
 その結果、ゲノム情報を収集し解析・管理・更新する作業のために、情報科学と生命科学の緊密な協力が不可欠。
      「ヒトゲノム解析計画は、生物学を情報科学に変えつつある」
          ↓
*1991年、コンピュータ上で、貴重な化学的特性を持った最初の合成分を作り出すのに成功。
*1996年、最初のDNAチップ[x6] を発表。
DNAチップにより、患者をスキャンしてそのヒトの遺伝子構成を正確かつ詳細に読み取り、さらに異常な、或いは機能不全の遺伝子を検知できるようになる。
いずれ、DNAチップにより、或る決まった時間にどの遺伝子のスイッチが「オン」になり「オフ」になるかも判断できる。
          ↑
 国家レベルでの対応
*米国立衛生研究所、世界中の研究者が効率的に遺伝子情報をダウンロードできるように、総合的な遺伝子データベースを作る国立バイオテクノロジー情報センターを設立。
*EU、あらゆるデータを研究者同士で交換するのに使える世界的言語を作るため欧州バイオ研究所を設立。

情報科学と生命科学の最終的な結合:コンピュータそのものの変貌=分子コンピュータの登場
今のシリコンではなく、DNA鎖でできた、今の最先端のスーパーコンピュータより100万倍速く動くコンピュータ
*1994年、南カルフォルニア大学のエーデルマン、DNAに数学のパズルを解かせるに成功。
*1995年、プリンストン大学のリプトン、DNA塩基対を1と0の連なりに翻訳する暗号化の方法を発明。

10、自然を作り直す――自然観・世界観におけるマインドコントロールの必要性――

(1)、序
歴史上の経済的、社会的な革命に際しては、常に、生命の創造と自然の仕組みについての新しい世界観が伴った。
というより、歴史上、新たな経済的、社会的な革命を首尾よく遂行するためには、その革命とハーモナイズ(調和)し、これを正当化するための新たな生命観、自然観を要請した。

現に、バイオテクノロジーの革命では、それに相応しい新たな生命観、自然観が準備されている。

しかし、ここでは、過去の工業化の革命の歴史の中で、このことを見てみよう。

(2)、ダーウィニズムの登場
工業化社会の形成にとって、生命の創造と自然の仕組みについて新しい世界観を提供したものは何だったか? これに対し、それまでの古い世界観とは何か?
       ↓
「種の起源と進化」に関するダーウィンの理論 ←→ キリスト教の神を中心とする創造説

この理論は、いかなる影響を工業化社会に及ぼしたか?
       ↓
単に、新しい自然観を付与したにとどまらず、
工業化社会の経営者たちに揺るぎない自信を付与:「自分たちのしていることは、事物の自然な秩序の反映にほかならず、それゆえ正当化できるし必然的なことなのだ」という確信(マインド・コントロール)。
のみならず、一般大衆に対しても、「工業化社会のやっていることは事物の自然な秩序の反映なのだから、これに反対しても無意味である」と彼らの異議申立の芽を奪い取り、無条件の「恭順と服従」
が可能な従順な子羊に仕立てていった。
       ↑
その意味で、ダーウィンの理論が工業化社会の支配者たちに正当化の論拠を与えたのではなく、ダーウィンの理論が工業化社会の支配者たちによって、「彼らの行動を正当化する上で誠に好都合な理論として」「自然の秩序が自分たちに味方していると主張できる理論として」正統な世界観に選ばれたのだ。殆ど魔術師の巧妙なトリックに近い。

精神分析学者ランク曰く:我々の自然観は、どんなときでも自然そのものよりも、我々(支配者)自身について多く語っている。中立的な自然観などあり得ない。
       ↓
我々の自然観は、全く、恥かしげもなく、きまりがわるくなるほど人間(支配者)中心主義なのだ。

  ex. 中世の自然観:13世紀に神学者トマス・アクイナスが提唱
「自然の秩序が、なぜ、重要性が高い順にヒエラルキーをなす無数の動植物を包含する大いなる鎖に似ているかというと、それは神が自然に知能の程度や形態、種が異なる生き物を住まわせることを意図したからだ。生き物の多様性と不平等はシステム全体が整然と機能することを保証するもの」
   ↑
     この記述は、中世ヨーロッパの制度的な配置(封建的ヒエラルキー)と驚くほど似ている。
       
すべての自然観・宇宙観は、その時々の社会(の支配者)がみずからの秩序・活動を正当化するための、みずからの姿を映し出すの役割を果した。    
     とはいえ、それは全くの虚構、おとぎ話ではなく、現実世界の一部を反映した鏡だった。
つまり、これまで人類が学んだ自然に関する一部の知識を膨らませて、あたかも自然全体の包括的な仕組みであるかのようにでっち上げる。巧妙なトリックというほかない。

(3)、ダーウィンの自然観と産業精神
  ダーウィンの進化論:産業化時代と非常に相性のいい道連れとなった
       ↑
この理論は、自由競争の市場で最適者が生き延びるという考えに基づくイギリス政治経済学とピッタリ息が合っていた。
ダーウィンが発見(正確には発明)した自然の中に、イギリスの工場制度に見られるのと同じ種類の分業を発見できたことにより、「産業社会の財産と労働の関係の正しさを科学的に保証」した。
      ↓
その結果、経営者たちは、分業という非人間的な行程を持つ新しい工場システムを正当化して、同じようなプロセスが自然界でも働いているのだと主張することができた。
      
ダーウィンは「分業が自然界の生命の原則と同一である」という科学的に申し分のない根拠を付与。

さらに、「自然界における分岐[x7] 」という彼の概念は、植民地拡大の最盛期のイギリス帝国主義の最大の援護射撃となった。

ダーウィンはアダム・スミスに賛成し、経済社会では見えざる手が常に働いて市場を調節しているのと同様、自然界でも同様の法則――自然淘汰――が常に働いていて、永久に資源の需要と供給のバランスを調整していると考えた。→ シュペングラー曰く、ダーウィンの論文は「経済学を生物学に応用したものにすぎない」。それを再び経済社会に当てはめれば、当然のことながら、自己の行為は「自然」に合致していると思い込むことができる。これが産業化社会の気に入らない筈がなかった。ただの欺瞞的なトリックでしかない。

ダーウィンの生物観:より複雑で効率的な工業製品へと「組み立てられる」部分の総計。
      ↓
以上から、彼の「種の起源」が出版されると、ブルジョア階級は、自分たちの経済的行動を合理的に説明する究極の根拠が見つかったといい、普遍的な自然の法則に頼ることができると言って、これを支持し、活用した= 社会ダーウィニズムの登場。
これでもって、貧しい労働者から過酷に搾取することも、帝国主義者として海外の植民地から過酷に搾取することもすべて、「自然の法則」に忠実に従っているまでだと正当化できた。
     ↑
この点で、ナチスの優生主義だけが非難される理由はない。社会ダーウィニズムも劣らず、当時の帝国主義者の暴力主義を正当化した。
ナチスの優生主義に劣らず、社会ダーウィニズムが果した犯罪的な役割は正当に非難されて然るべき。

(4)、新進化論の登場――「自然」をコンピュータ的に眺める――
今日、バイオテクノロジーの革命前夜において、今また、新しい自然観、宇宙観が登場。
      ↑
今更驚くことはないが、この新しい自然観、宇宙観は、今、進行中のバイオテクノロジー革命やバイオ産業の運営原理と、驚くほど辻つまが合っている。
既に、生物学、生物の法則、自然の法則は、バイオテクノロジー革命の記述と一致するように書き換えられている。残るは、自然観、宇宙観の全面的書き換え作業。
      ↓
この発明によって、バイオテクノロジーの世紀の新しい技術と経済の活動もまた「事物の自然な秩序」の反映にすぎないことが証明される。
      ↑
この新しい自然観、宇宙観に対する厳密な検討・批判が不可欠。
∵ これを野放しにしておくと、バイオテクノロジーの全ての活動が「事物の自然な秩序」の反映にすぎないと正当化され、それがはらむ深刻な問題点の検討すら全くなおざりにされてしまうから。
 
新しい自然観のモデル:2人の哲学者と数学者の提供による

(a)20世紀初頭の「生成の哲学」の父ホワイトヘッド
  すべての生物は、環境と相互に作用しながら生命を維持していく。環境と相互に作用しあうとき、進行中の多くの変化に「注意を払い」、自分の活動を間断なく変化させ、周囲の活動に順応していく。このたえまのない「予測と反応」はすべての生物の主要な原動力である。これは生物の精神の働きであり、精神がその領域を種の鎖に拡大したとき、それを進化と呼ぶ。
       ↑
 生物の進化に対して哲学的観点を提供。
 これに対し、科学的な枠組みを提供したのが、
(b)、数学者ノーバート・ウィナーのサイバネテッィクス
  ホワイトヘッドの「自然における精神」という説明を、数値化できる部分に変え、生気論的記述に代えて行動を純粋に技術的に定義してみせた。
生物は形成中のものであり、恒久的な形態ではなく、活動のネットワークである。
この生物がどのように予測し、変化する状況に反応していくかは、情報のフィードバックと情報処理によって解き明かされる。

新しい自然観のモデルの発展
ベルギーの物理化学者プルゴジンの「散逸構造」論
      ↓
ウィナーのサイバネテッィクスは、主としてシステムがどうやって長期的にみずからを「維持」していくかを説明するものだったが、プルゴジンは、システムがどうやって「進化」していくかを説明するもの。
=外界の大きな変動に際して、システムが崩壊せず立て直すことができた場合、それは前のものより桁違いに複雑でまとまりがよく、エネルギー流量も大きくなる。こうした立て直しがくり返されるたびに、次第に構造が複雑化していく。
つまり、「進化」は、情報処理の改善のこと。
それゆえ、進化の手がかりは情報がどう処理されているか、にある。

新しい進化論の共通認識
ダーウィンの進化論(進化の主たる要因として自然淘汰を強調)では不十分。
生物をDNAの総計として捉えるのでは不十分。
DNAとその外界との関係のありよう、それらが空間的にどう統合され、時間的にどう相互作用するのかが肝心。
    ↓
複雑なシステムにあっては、或るレベル――分子や細胞――での混乱した行動が、次のレベル-―形態――では特徴的な秩序を生じさせる。
    ↓
生物は、もはや自然淘汰という偶然のプロセスから生じる消極的な存在ではなく、むしろ自己を統合していく動的なプロセスである。つまり、「単なる生存機械」ではなく、「芸術作品」のようなもの。
生物とは、複雑な適応性を持つ「パターン探求」システムのこと。
∴ 生物の進化は偶然起こるだけではなく、創造的である。
  生物の進化は選択的であるだけではなく、自立的である。
  その進化を促すのは、増大した計算能力(­=情報処理能力)である。
        ↑
「進化とは増大した計算能力だ」という新しい見方を、生物学界は気に入った。
        ↓
今回の「天地創造の物語」には、コンピュータのイメージ、情報科学の言葉が割り振られている。
生物の進化とは、コンピュータと同じく、増大する情報を短時間のうちにうまく処理すること。
        ↑
このアイデアは、既に、経済社会でビジネスの新しいやり方として定着しつつある。
「急速に変化するビジネス環境を予測して、すばやく対応できること新時代の生存と成長の鍵」という考え方。∴成功を握る鍵は、ますます複雑化する大量の情報を管理する能力いかんにある。
        ↓
当然のことながら、自然界にも同じ力がはたらいているというアイデアが受け容れられることになる。
とりわけコンピュータ化時代の第一世代が、この自然観をごく素直に受け容れることは容易に像像がつく。
∵ 彼らは、自分たちの社会環境全体を、コンピュータを使って統合し直しながら成長した。
  だとすると、自然そのものもまた、自分たちがコンピュータの操作に使う一連のコンセプトや手続と同じもので統合されていると考える(つまり、「自然」をコンピュータ的に眺める)ようになっても何ら不思議ではないから。
        ↓
  その結果、多くのバイオテクノロジーの現象が、この新しい自然観の下で素晴らしい肯定的な評価を受けることになる。

ex. 遺伝子操作とは、生物の将来の性能をプログラムしていることであるが、これこそ「進化」にほかならない。

  実験室における遺伝子操作による新しい遺伝子組替生物の誕生は、生物の進化は突然、しかも急速に起こる、しかも新種は親の群体から全く孤立しているところで出現することが多いという(新しい自然観のもとで展開される)「断続平衡」説と符合する。

 生物の種を超えて生物素材を遺伝子操作することは、生物とは個別に名前を持つ個別の種ではなく、種に関係なくひとまとまりの遺伝情報であるとする新しい自然観と矛盾なく説明できる。

(5)、ポストモダニズム的宇宙論  
  バイオテクノロジーの世紀の「すべてを情報として捉える」というスタンスを突き詰めると、
  「全ての生物と生態系を情報に還元し、その情報を使って時間と空間の制約を克服する」
  という究極の夢に至る。
ex. TV番組「スター・トレック」に登場する「物質・エネルギー変換機」
  地上における永遠の命の誕生
     ↓
情報は時間による破壊にもおかされない。だから、肉体と共に滅びることもない。
肉体とはそれが組み込まれている情報の一時的な入れ物にすぎない。
この情報を入れる入れ物を新たに作ることができれば、その入れ物が新しい生命となる。っその入れ物が壊れたら、その情報を次の入れ物にロードするだけのこと。こうして永遠の生命が出現する。

自分の遺伝子をそっくりそのまま、クローン増殖により子孫の形で生き続けさせたいと望むことは早晩生じるだろう。
それは許されないことだろうか?
物質的な遺産を後世に伝えることは許されても、遺伝情報を後世に伝えることは許されないのだろうか?
本人が自分のDNAの中に持っている遺伝子情報の資産ほど、「個人的」な所有物ではないだろうか?
財産権をこれほど重視する社会で、全ての個人は、最も大切な所有物である己のゲノタイプをクローン増殖法で永続させることがどうして許されないのだろうか?

他人のクローニングはどうだろうか。瀕死の配偶者や子の配偶者や親がかれらのコピーをクローニングし、そっくりさんを「生き続けて」欲しいと願うことが許さないのだろうか?

優秀な個人がクローン増殖法によって無限に維持されることは許されるだろうか?

モダニズムとポストモダニズムのちがい
  知識     →   情報
「客観的」真実 → 「遠近法的」真実(=個々の関係を認識して全体を眺める)
*将来の捉え方について
「堅固な因果関係」で生ずる → 「創造的可能性」の軌跡
決定論的な結果 → ありそうなシナリオ
永遠の真理   → 有用なモデル

ポストモダニズムの自然観
人類は、宇宙の堅固な真理・法則に縛られる必要はない。
自然は、「新しさへの創造的前進」であり、各生物種は「芸術作品」であり、新たに人間の手によって作り直されるべきもの。
真実のパラメーターを確立するのも人間である。我々が世界を作る。
遺伝子操作はポストモダニズム時代の「芸術家の手段」である。
    ↓
ここから、「人類の新しい責任」という考えも生まれる。
 英国の生物学者ジュリアン・ハクスリー(ノーベル賞受賞)曰く:
人類そのものが進化の創造性の賜物である以上、人類には、その「創造的なプロセス」を続行する義務がある。そのためには、生命の未来の発達を形成する建築家にならなければならない。
つまり、人類の運命は「地球上のさらなる進化の発展の唯一の責任者」になることにある。
   ↑
かつて、ダーウィンが人々に要求したことは、生きるために闘うことだった。
今や、新しい自然観は人々に、生命の「創造者」になれと要求している。ハクスリーによれば、我々には「進化という宇宙的プロセスのビジネス・マネジャー」になるよう運命づけられている。

 新しい自然観によれば、遺伝子操作は「新しさへの創造的前進」の必然的結果
新しい自然観によれば、遺伝子工学は進行している自然自体の進化のプロセスのこと。
新しい自然観によれば、遺伝子工学を阻止しようといういかなる試みも徒労に終わるだろう。なぜなら、それは「自然な」ものに逆らうことだから。
  この自然観に呼応して、科学者の中に、みずからを「人類の新しい進化の進路を構築する建築家」を自認する人々が増大。

(6)、ポストモダニズム的宇宙論の批判
ポストモダニズトは言う。「バイオテクノロジーの技術をひっさげて、人間は創造的な芸術家の役割をにない、たえず進化を芸術作品に変えていく」
    ↑
しかし、
(a)、この種の新手の芸術は、我々が過去知っていた芸術的感性とは全く懸け離れていないだろうか。なぜなら、それは合理的計算と大量生産と特別注文などの技法に染まった模倣芸術でしかないから。
(b)、そもそも、こうした遺伝子操作を、芸術的な行為と考えたほうが、より親密で気高く思われ、冷たく人間的な行為だとは思わずに済むから。
(c)、もともと技術とは「人間の力を拡大させるもの」であり、遺伝子操作もまた、生命に対する「人間の力の拡大」の最たるものである。しかし、真の意味の芸術とは常に外界との「深いまじわり」を意味し、我々が経験する現実について他人と奥深い気分や感情を分かち合おうとするものである。遺伝子操作には単に個人の力を拡大させるだけで、そのような「深いまじわり」など何もないから。
(d)、ポストモダニズム的文化産業にたずさわる人々は、今はやりの「身体の改造」もまた芸術的表現手段だと考える。しかし、「身体の改造」は創造的行為というより、体制順応的な行為でしかない。なぜなら、身体改造の目的は社会的に見て欠点と思われることをなくし、社会的に模範とされ受け容れられることを達成するのが狙いだから。つまり、自分を作り変えて世間に「はめこもう」とする試みでしかない。それはまた遺伝子操作についても当てはまる。

ポストモダニズトが「創造的時代」と呼んでいるのは、実は、消費者に与えられる無制限の選択肢のことでしかない。ここで、我々は、知らす知らず、選択する能力と創造する能力を次第に混同するようになっていることを思い出すべきである。この混同は新しいバイオテクノロジーにおいて甚だしいから。
自分の再設計ができるとあって、我々は、新しいバイオテクノロジーを創造的な行為と誤解しているが、それは実際には一連の選択肢でしかなく、市場でお金を払って買うことのできるものでしかない。

つまり、言い換えれば、バイオテクノロジー革命とは、創造性とは無縁の、所詮、究極の消費者の遊び場であって、それが提供してくれるのは、我々の気まぐれに合わせて生物学的な資質や自然を作り直してくれる自由なのである。つまり、かつてない規模のショッピングを経験させてくれるだけのことである。

11、ジェレミー・リフキンの個人的な見解――オルタナティブなバイテクの探求――
私は、新しいバイオテクノロジーの導入に全く反対しているのではない。
問題は、どんな種類の科学やテクノロジーに賛成するか反対するか、である。
       ↑
あたかも、近代の夜明けに、宗教の批判者がヴァチカンから糾弾されたことと似ている。
この時、教会の公式の教義に異議を申立てるものはすべて神を否定する者とみなされた。
       ↓
しかし、神をあがめる方法は沢山あるのだ。
これと同じように、科学をほめたたえる方法もほかにまだ沢山あるということだ。
世界を遺伝子還元主義の立場から眺めることしかできないわけではない。
生態環境学のように、自然に対しより統合的でシステム全体を考えたアプローチもある。
この学問が遺伝子還元主義と違うのは、
後者が分離を好み、超然とすることを好み、力を応用して侵入することを好むのに対し、
前者は、分離より統合を好み、超然より参加することを好み、力の応用より社会的な責務やいたわりを好む。
       ↓
こうしたアプローチの違いは、実行の段階で、非常に異なった正反対の方向に進むことになる。
(a)、農業
遺伝子還元主義は、広範囲の生物界に対して防備を固め、独立した安全な避難所を作ることに努める。
生態環境学者は、ゲノム・データを使って、環境の影響と突然変異の関係について理解を深め、生態環境に基づいた農業科学――総合的な害虫管理、輪作、有機肥料、さらには農作地を栽培地の生態系の変遷の型と両立させる計画的で持続性のある方法を推進させることに努める。
(b)、医学
遺伝子還元主義は、変更された遺伝子を患者に組み込み、異常を「訂正」して病気の進行を抑えようとしている。
全体論的な立場は、環境誘因と突然変異との関係を探求し、より複雑で科学的な根拠に基づいた予防治療の理解を深め、その方法を確立したいと考えている。
            ↑
米国ほか工業国の死者の70%は心臓発作、卒中、乳がん、結腸癌、前立腺癌、糖尿病などの「富裕病」であり、食事やライフスタイルも含めた環境要因が突然変異の誘発を助長する主な要素であることは分かっている。そこで、この「環境誘因と突然変異との相互作用」を探求する必要がある。
  
では、なぜ、2つのアプローチはお互いに手を携えて協力し合うことができないのか?
              ↓
ビジネス界がてっとり早く儲けにつながる前者のアプローチを支持しているため。

*科学者の偏見について
 分子生物学者の中には、あいかわらず自分たちのアプローチには偏見はなく、客観的で、価値観に囚われていない唯一の真実の科学だと信念を抱いている人がいるようだ。
             ↑
しかし、もともと、どんな研究者であれ、探求という行為には、常に、その研究者の先入観・世界観が暗黙の前提となっている。
ex. 科学やテクノロジーの「進歩」は、あたかも自然の進化や自然淘汰と同様であり、そこには何の制約もない、と。
     ↑
   ちょうど、芸術の「表現」にはあたかも自然の表現と同様であり、そこには何の制約もないと考える作家。
     ↓
  だから、遺伝子操作といったテクノロジー導入に反対することは、無分別で無益であり、自然に背くのと同様な無意味なことである。
  なおかつ、新しいテクノロジーの導入に対して、テクノロジーはもともと中立的かつ必然的なものだという理由で、それがどのようなリスクをもたらすかについて真剣な検討をする責任(←これこそ人類の責任というべきである)を免れている。
     ↑
そこで、こうした科学者が陥っている無意識の先入観・世界観を一度、徹底的に吟味し、批判しておく必要がある。
  ex. テクノロジーはもともと中立的かつ必然的なものか?
       ↑
       ノー
∵ テクノロジーはもともと我々の生物的肉体を拡大し延長したもの。その行使にあたって、誰か、もしくは環境の何かを必ず傷つけ、弱め、利用しているから。その意味で、テクノロジーは本来的に中立的であり得ない。
       ↓
そうだとすれば、テクノロジーの行使にあたって、その規模や範囲が適切か、或いは途方もないものかを見極めなくてはならない。その問題を最も突き付けたのが原子力である。
原爆と核エネルギーは物理学の離れ業としてト20世紀最高の科学的業績として登場したが、そのリスク・脅威はいかなる潜在的な利益をもしのぐという結論に達し、政策の転換を余儀なくされつつある。それを余儀なくさせたのは一般大衆だった。
   ↓
だとしたら、20世紀の物理学の真骨頂ともいうべき核テクノロジーに代わって、いま視界に入ってきた21世紀の生物学の真骨頂ともいうべきバイオテクノロジーに対して、いかなる新しい技術革命に問うて然るべき、入り口における危険な問いをここでも発することは全く要を得たものと思われる。
――この新しい遺伝子操作に本来備わった力は、適正な力の行使であろうか?
――それは、地球上の生物学的多様性を不安定にし枯渇させないだろうか?_
――それは、未来の世代及び我々の旅の道連れである生き物の選択の自由を守るものか、それとも狭めるものか?
――それは、生命に対する尊厳を促すものか、それともおとしめるものか?
――それは、すべてを考慮した結果、害より益をなすものか?

 バイオテクノロジー革命の主な参加者にとって、
無限の潜在的可能性を有している遺伝子操作が、部分的にせよ、否定されることなぞあり得ない
と思われるかもしれない。
     ↑
 しかし、我々は、高々つい一世代前に、核エネルギーを部分的にせよ放棄することを想像することなぞ、誰も考えつかなかったことを思い出すべきである(なぜなら、何しろ、それはエネルギーへのあくなき欲求を抱えた社会にとって究極の救済であると熱烈に歓迎されたのだから)。

 バイオテクノロジー革命がこれほど騒がれるのは、それは企業がそこから莫大な潜在的な利潤獲得を目指すからである。
 ということは、反面、人々が望む商品・サービスを提供するためである。人々が望まない商品・サービスを提供してもしょうがない。
 だということは、バイオテクノロジー革命の未来は、この商品・サービスを購入する我々消費者自身の意思・動機にかかっている。つまり、我々消費者自身の期待、欲望、精神的態度、価値観がバイオテクノロジー革命の未来を規定する。
それを正しく行使するためには、バイオテクノロジー革命を正しく認識しなければならない。その永続的な啓蒙と実践の中で、バイオテクノロジー革命の未来が決定される。未来は消費者の手にかかっている。
以上(6/6/04


 [x1]この反応の背景には、その数ヶ月前に、米国最高裁で、遺伝子操作された生き物(微生物)に、特許を認める初の判決が出たことがある(チャクラバーティ事件判決)。市場は、この判決の持つ深い意味を理解した。
現に、ジェネンティック社自身が、こう言って憚らなかった。
「法廷がこの国のテクノロジーの未来を保証した」【73頁】

 [x2]ここに、パブリックをめぐる本質的な問題(あべこべの歴史=転倒の歴史)が凝縮して現われている。つまり、本来、パブリックなものとして扱われるべきものが、一部の者が自分たちの独占的な権利だとして彼らの支配に服従させられるという事態が起き(生物学的な海賊行為がその典型)、他方で、本来、(主として)一部の者の私的な利益追求のためでしかないのに、それをあたかもパブリックな事業であるかのように装って、その事業の実現のために、弱者の犠牲を強いるという事態である(様々な名目で進められる一連の開発事業がその典型)。こうした「あべこべの歴史」が、バイオテクノロジーの中で、最も凝縮した形で現われる。

 [x3]思うに、ここで原告が言いたかったことは、「所有権」という概念ではなく、特定の対象(ここでは自分の身体の一部)に対する支配権・コントロールする権利があるということである。だから、本来なら、最高裁のような形式論理で処理できる問題ではなかった筈だ。

 [x4]もっとも、サイバネティックスの最初のきっかけは、高射砲で飛行機を撃墜するという軍事目的のためだった。飛行機の速度が速くなったため飛行機の進路を予測して射撃する必要が生じたのである。飛行機の操縦士はできるだけ進路を予測されないよう不規則に操縦するが、機体に慣性があるためその航路はある統計的な性質をもつ。この性質を利用して予測したのである。


 [x5]ウィーナーがサイバネティックスを提唱する契機となったのはメキシコ人神経生理学者ローゼンブ
リュートとの共同研究である。ウィーナー自身は数学者であるが,1919年からマサチューセッツ工科大学に勤務しており,同大学電気工学科で行われていた微分解析機と呼ばれる計算機の研究や砲照準制御装置の開発に興味を持っていた。一方,ローゼンブリュートは随意運動の神経メカニズムの研究を行っていた。ウィーナーはこの問題に興味を持ち,以下のように考えた。
たとえば腕を伸ばして物体を把握しようとする場合,腕の各筋肉の緊張度や目からの情報が脳に送られ,手の位置と物体の位置のずれが判定され,このずれを小さくするように腕の各筋肉が動かされて目的とする物体を把握している。これは機械の制御に使用されているフィードバック制御と同一であ
る。実際,腕を伸ばして物体を把握しようとすると腕が振動する症状も存在する。制御工学の研究成果を利用して動物の運動を支配している神経系の動作を解析することができ,また動物の運動機能の研究成果を新しい制御装置の設計に利用することができる。
 当時,ローゼンブリュートは科学の方法論に関する月例討論会を主宰しており,医学者,数学者,物理学者など異なる学問分野の専門家による活発な議論が行われていた。この議論のなかで,ウィーナーの構想は運動制御の問題からより一般的なものに発展していった。【平凡社世界大百科】

 [x6]DNAチップとは、ガラスや半導体の基板の上に特定のDNAを貼り付けたもので、患者の遺伝子群がどのように発現しているかを一度に調べることができる。基本的な流れは、次のようなものだ。
 1.患者の細胞や血液からmRNAを取り出す。
 2.それから相補性DNA(cDNA)を逆転写・複製する。
3.cDNAを基板にふりかけ、基板上のDNAと対をつくっているかを蛍光体で検出する。
http://www.nanoelectronics.jp/kaitai/dnachip/2.htm】より

 [x7]ときたま新しい生物が仲間とはかなり異なる新しい特性をあらわし、そのために自然界で先住者のなかったニッチを占められるようになる、という概念。