2011年6月9日木曜日

安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故(2011.6.9)


安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故

 世の中には五十年、百年経ってみて初めてその意味が分かるようになる出来事がある。今から約百年前に発生した「人間と人間の関係」の人災=第一次世界大戦がそうである。当初、人々はこの戦争は短期間で終結する、半年後のクリスマスまでには家族と再会できると楽観して出征した。しかし、現実の進行は当初の予想を裏切り、過酷な大量殺戮兵器の出現、未曾有の死傷者・被害・惨禍をもたらした。しかもこの人災が収束したのは4年後(それはつかの間の休戦にすぎなかった)ではなく、31年後であったことを人々は後に思い知ることになる。人災=世界大戦の収束をもたらしたのはヒロシマ・ナガサキに投下された原爆であった。この時、人々は初めて世界大戦は核戦争による人類の絶滅で収束するという過酷な事実を思い切り頭に叩き込まれたのである。

 今年3.11に発生した「人間と自然の関係」の人災=福島第一原発事故はそれに匹敵する出来事である。当初、人々はこの事故は短期間で収束する、遅くとも年内には自宅に戻れると楽観していたが、天下の政府と東電が核燃料棒の崩壊熱に翻弄され続ける姿を目の当たりにして、その見通しは崩壊した。しかし、現実の放射能汚染がどこまで進行するのか、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)である放射能は黙して語らない。福島にも例年通り、草木は芽吹き、春は訪れたが、しかしそれはそれまでの春と断絶した「沈黙の春」だった。では、我々は、いつ、この人災が収束するのを見届けることができるのだろうか。そして、その収束をもたらすものは何だろうか。工程表の実行?そんなものはつかの間の処理にすぎず、現実に進行中の大気・土壌・海中への放射能汚染対策は指一本触れられていない。世界大戦の収束をもたらしたものが「核戦争による人類の絶滅」という過酷な事実だったように、それは何年か後、何十年か後の、人々の頭に原発事故は放射能汚染による地球の絶滅で収束するという過酷な事実が思い切り叩き込まれたときである。

この意味で、3.11の大震災で亀裂が入ったのは東日本の大地だけではなかった。原発の安全性に対する国や企業の考え方はもちろん、バイオテクノロジーなどの先端科学技術の安全性に対する彼らの考え方つまりリスク評価を根底から揺さぶり、亀裂をもたらした。これまで、科学技術に関する小規模な事故や異変が発生しても国や企業は、可能性は認めても、「ただちに安全上問題が生じることはない」という今ではすっかり有名になった決まり文句でお茶を濁し経済的効率を優先してきたが、その流儀は人間たちをマインドコントロールすることはできても、自然界に対し無力だった。可能性がある事故は、いつか必ず「現実」のものとなる。それが今回の福島原発事故である。彼らのリスク評価の最大の問題は、それに対する用意と覚悟が全くできていないということである。それは事故直後の原子力安全委員会の議事録[1]を見れば一目瞭然である。国や企業は、放射能が「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」として深い沈黙の中にいたので、あたかも人間と同様、放射能をマインドコントロールできたかのように錯覚し、タカを括っていた節すらある。

この間、天下の政府と東電の事故対策が「無力」なのは想定通りである。なぜなら、彼らがやってきたのは、可能性がある事故への備え・対策ではなく、「ただちに安全上問題が生じることはない」事故を怖れずに科学技術をひたすら実用化・応用化することだけだったからである。

但し、これは何も原子力技術に限らない。バイオテクノロジーでも同様である。6年前、新潟県上越市で、元農水省の研究機関により遺伝子組換えイネの日本で最初の野外実験が実施された時、組換えイネの安全性を危惧する地元住民の猛反対の声に対して、実験の責任者はこう述べた「怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ」(2005年5月28日新潟日報)、と。その後の実験差止の裁判[2]の中で、微生物研究者が、この実験により、ヒトの健康と地球生態系に重大な脅威をもたらす可能性のある恐るべきディフェンシン耐性菌が出現したのは確実であると指摘したのに対して、この研究機関も、かつて、耐性菌が出現することを自分たちの論文中で認めておきながら、にもかかわらず、耐性菌対策として、この耐性菌に翻弄される以外、用意と覚悟が何もないことを明らかにした。このバイオテクノロジーでも、国は、「ただちに安全上問題が生じることはない」耐性菌を怖れずに科学技術(遺伝子組換えイネ)の実用化・応用化だけにひたすら邁進したのである。

原子力技術とバイオテクノロジーがもたらす人災に対する国や企業のリスク評価は、基本的に以上の通りである。だから、私たちの生活は事故が現実化しない限りで、かろうじて安全が保たれている。ひとたび事故が現実化したとき、国も企業も自然界に翻弄され、無力さをさらけ出す。その意味で、私たちは科学技術がもたらす未曾有の人災によって崖っぷちに立たされている。ヒロシマとナガサキのあと、判断をまちがえて世界戦争を起こしたとき人類は絶滅するように、フクシマのあと、「リスク評価」をまちがえて原子力事故(むろん、今なお進行中の福島原発事故も含まれる)や生物災害をおこしたとき人類は甚大な被害を蒙り、地球環境は絶滅するという崖っぷちに立たされている。人類の甚大な被害と地球環境を絶滅の危機から救うために、いま、「リスク評価」の方法そのものから全面的に転換する必要がある。つまり、「いかなる価値に基づいて、リスクを評価するのか」というリスク評価の根本問題について、これまでの国と企業の開発至上主義、経済効率至上主義という価値基準を無条件で放棄し、詩人ノヴァーリスが語ったように、かつての我々が持っていた、人類と地球環境が共存するという価値基準を全面的に回復させる必要がある。

「数や図形が
 すべての生きものの鍵ではなくなり、
 歌い、接吻する者が
 学を究めし者より多くを識り、
 世界が
 自由なる生の世界にたちもどり、
 光と影が
 ふたたび真の透明に結合し、
 メールヘンと詩に
 永遠なる世界の物語を知るときがくれば、
 誤れるものはすべて
 秘めたる言葉の前にとび去っていく」
                   (ノヴァーリス「青い花」より。上田真而子訳)
2011.6.9柳原敏夫)


[1]

原子力安全委員会2011年3月11日議事録14日議事録:当日14時46分の三陸沖の大地震のあと15時27分より数波の大津波が福島原発を襲来。これにより、非常用電源を含む全電源を喪失し、原子炉内の燃料棒に対する継続的な注水冷却機能を喪失する恐れという緊急重大事態が発生し、東電は原子力災害対策特別措置法に基づき、直ちに経済産業大臣らに通報した。これを受け、原子力の安全確保を職務とする原子力安全委員会は当日臨時会議を開催したが、5分で閉会した。議事録には、《配布資料なし、「緊急技術助言組織」の立ち上げを行った》とあるだけである。次の会議が開催されたのは事故から4日後の14日のことであり、35分で閉会した。議事録には、《配布資料なし、緊急の場合における実用発電用原子炉に関する線量限度等の告示について、原子力安全・保安院より連絡を受け、事務局より説明が行われた。》とあるだけである。
[2] 裁判の公式HP禁断の科学裁判
遺伝子組換えイネの野外実験差止訴訟:カラシナが作り出すディフェンシンというタンパク質が病原菌に対し強力な殺菌作用を有していることに目をつけた農水省の研究機関(当時。後に独法)が、カラシナのディフェンシン遺伝子をイネのDNAに組み込んで、いもち病や白葉枯病に強い遺伝子組換えイネを作ろうと思い立ち、数年間の屋内実験のあと、2005年4月、実用化に向けて屋外で実験を実施すると発表。これを知った地元住民から遺伝子汚染、食の安全、風評被害など野外実験の危険性を危惧する声があがり、実験中止の声が広がった。にもかかわらず、開発側は地元住民の声に全く耳を傾けようとしなかったため、住民はやむなく、裁判による解決を余儀なくされた。これが遺伝子組換えイネの野外実験の中止を求める差止訴訟であり、2010年11月まで6年間続いた。
裁判の審理の中で、農薬散布や院内感染で知られる通常の耐性菌とは桁違いに危険なディフェンシン耐性菌という耐性菌が野外実験の実施により出現したことが数々の証拠から明らかにされたが、「バイオ技術の安全神話」を愚神礼賛する裁判所はこれを黙殺。住民敗訴判決のおかげで、この途方もない危険なディフェンシン耐性菌の駆除は、その大災害が現実化するまで放置されたままとなった。