2011年2月25日金曜日

6年間のイネ裁判の2つの痛恨(2011.2.25)

             私感:6年間のイネ裁判の2つの痛恨

皆さんへ
柳原です。

この間、4月の市民法廷の準備をしていて、改めて気がついたこと、概要ですが書いておきたいと思います。

私は、もともと著作権を専門にやって来たヤクザの知財(知罪)弁護士で、イネ裁判は初めての環境(公害)裁判でした。だから、新米として、すべてが新しく、新鮮でした。

だから、新米が故に、無知と無恥だらけで、むしろ開き直りで無知の強味で怖いもの知らずでやってきたところがあります。

しかし、その新米が故の痛恨事が2つあります。それはもしその無知を克服していれば、イネ裁判で一度は勝訴判決を導けただろうと思えるからです。

1つは、事実に関する無知でした。
ご存知の通り、6年前の仮処分申立で、一審の高田支部の板垣裁判官は最も我々の立場に理解を示してくれ、住民へ情報公開することを条件に被告の野外実験を認めました。

のみならず、彼は、ディフェンシン耐性菌の出現の可能性を明確に認めた裁判官でした。
しかし、同時に、その可能性が「飛躍的に増大した」ことまで必要であるが、その点の証明が不十分だとして、申立を却下しました。

板垣裁判官は古典的な公害裁判と同一のレベルで考えてしまい、一定量の有害化学物質が発生・放出されたことと同様に、「かなりの量のディフェンシン耐性菌の出現」が必要だと考えたのです。

このとき、私は生物災害に特有な性質=自己増殖という決定的な真理を裁判官の頭に叩き込むことを忘れてしまったため、裁判官に、仮に1個のディフェンシン耐性菌が出現する場合でも、それは自己増殖して危険をもらたす可能性があるということに気がつかせることができませんでした。

二審で、この真実を指摘しましたが、時既に遅しで、二審の忠犬裁判官はそんな指摘なぞ「住民の杞憂」にすぎないと一蹴されました。

同じ環境公害事件でも、有害化学物質と生物との重要なちがいをわきまえることができなかったことによる痛恨事です。

もう1つは、法律論に関する無知です。
昨年から大分の中村さんの誘いで、科学と法について考えるプロジェクトに参加し、そこで科学者の人から、科学裁判のすごい法律家がいると松波淳一弁護士を紹介されました。
松波さんというのは、富山県の人で、高校卒業後10年余り郵便局員を務め、のち大学の夜間で法律を学び、司法試験に受かり、イタイイタイ病裁判の最初から30年関わってきた人です。

彼の「イタイイタイ病の記憶」という本を手にとり、そこからイタイイタイ病裁判がいろいろな点でイネ裁判と共通することを初めて知りました。

とくに、因果関係論の論点がイネ裁判とそっくりそのままだったということです。

この種の住民の裁判による追及に対して、被告に立たされた加害企業が取るやり方は、原因となった事実から、被害が発生するまでのメカニズムをひとつひとつ具体的、個別的に明らかにされたい、という「メカニズム論」であり、これが彼らの常套手段だということです。

今回のイネ裁判の被告の作戦も全くこの「メカニズム論」だったのです。彼らは加害者側として過去の最良の遺産を引き継いできた訳です。

松波淳一弁護士らイタイイタイ病弁護団は、この「メカニズム論」は結局、真相は不明であるという「不可知論」に逃げ込むための悪辣な論法であり、断固拒否をすべきであり、事実、それを実行し、そして勝利したと述べられていました。

そして、この「メカニズム論」拒否の作戦が成功したのは、最高裁がそれまでにそれを支持していた判例を出していたからだと解説してありました。

それが、
元来訴訟上の証明は,自然科学者の用いるような実験に基づくいわゆる論理的証明ではなくして,いわゆる歴史的証明である。論理的証明は『真実』そのものを目標とするに反し,歴史的証明は『真実の高度な蓋然性』をもって満足する。言い換えれば,通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得ることで証明ができたとするものである。だから論理的証明に対
しては当時の科学の水準においては反証というものを容れる余地は存在し得ないが,歴史的証明である訴訟上の証明に対しては通常反証の余地が残されている。
」最高裁昭和23年8月5日判決)。

そして、昭和39年7月28日の最高裁第三小法廷判決は、注射の際のブドウ状球菌汚染による化膿について、医師側が汚染の経路を明らかにされたいと上告したのに対し、最高裁は、注射に際し消毒が不完全とさえ言えば、器具の不消毒か、それとも術者の手指の不消毒か、それとも患者の注射部位の不消毒かを確定しなくてもよいと判断。

しかしながら、これらの消毒の不完全は、いづれも、診療行為である麻酔注射にさいしての過失とするに足るものであり、かつ、医師診療行為としての特殊性にかみれば、具体的にそのいづれの消毒が不完全であったかを確定しなくても、過失の認定事実として不完全とはいえないと解すべきである(最高裁第二小法廷昭和三〇年(オ)一五五号同三二年五月一〇日判決、民集一一巻五号
七一五頁参照)。」

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319121825617768.pdf

もしこの最高裁の判断に従えば、イネ裁判の被告の論法も同様にして否定されます。つまり、
ディフェンシンを常時産生していて、抗菌タンパク質として菌に殺菌作用を及ぼしていることが認められる以上、ディフェンシンの産生から、どのような経路を辿って耐性菌が出現したのか、イネ体内か、イネ対外か、それともイネの表面上か、それを確定する必要はない、と。

だから、イタイイタイ病裁判では、被告の三井金属が、カドミウムの摂取から発病までのメカニズムを解明したいと主張し、そのために鑑定を申請したとき、この鑑定を認めるかそれとも却下するかが、裁判のクライマックスとなった。そして、ケンケンガクガクの論争の末、鑑定は却下され、それ以上の事案解明は必要なしとして、不法行為の因果関係は認められ、住民の勝利となった。
昭和39年7月28日の最高裁第三小法廷判決をきちんと学んでおれば、イタイイタイ病裁判の教訓をきちんと学んでおれば、最高裁のロジックを使って被告を負かすことができたのではないかと、本日、知りました。

そのことを書いた松波淳一弁護士の「イタイイタイ病の記憶」の該当部分をアップします。

http://1am.sakura.ne.jp/GMrice/MemoryofItaiitai.pdf


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                   法律家 柳原敏夫(Toshio Yanagihara)
          E-mail  noam@m6.dion.ne.jp
           GMイネ野外実験の差止訴訟「禁断の科学裁判」
          公式サイト→http://ine-saiban.com/
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