目次
1、はじめに--人々の目をふさぐ張本人が「人々を無知から救う」という-- 2、君は安全神話に関心がないかも知れないが、安全神話は君に関心がある。――原発事故の時にそれが分かる。
3、二重の基準でくり返される「風評払拭」キャンペーン
1、はじめに-人々の目をふさぐ張本人が「人々を無知から救う」という-
ドキュメンタリ-「チョムスキーとメディア」は、イギリスの詩人ジョン・ミルトンの約400年前の次の言葉で始まる。
「放射能による健康被害の危険性」を論じるここでは、少し言い換えて、次の言葉から始める。
人々の目をふさぐ張本人が「人々を無知から救う」という。
ここでの問いは、私たちの置かれている状況はミルトンの約400年前の言葉と変わらないのではないか、です。
2、君は安全神話に関心がないかも知れないが、安全神話は君に関心がある。――原発事故の時にそれが分かる。
福島原発事故がそうだった。
福島原発事故で安全神話が崩壊したと言われるが、正確には福島原発事故で崩壊したのはコインの表、原発自体の安全性に関する神話が崩壊しただけだった。 もう一方のコインの裏は崩壊しなかった。それが放射能による健康被害に関する神話だった。
しかし、実はこちらの安全神話も崩壊の危機にあった。この時、危機を救ったのが山下俊一長崎大学教授である。彼は、東電の社長が事故直後に本社に戻るため自衛隊のヘリコプターに搭乗しようとして拒否された時でも、自衛隊のヘリコプターに堂々と乗って長崎から福島まで行った人物、安全神話を死守するために使わされた特使だった。そのあと、期待通り、
「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。」
「皆さん、マスク止めましょう。」
「『いま、いわき市で外で遊んでいいですか』『どんどん遊んでいい』と答えました。」
(子ども脱被ばく裁判 原告準備書面(7)33頁以下より)
にはじまる、聞いたこともないような奇想天外な安全神話創設に向けた有名な発言、「根拠のない噂」=風評が連日、連発された。しかし、不安の中にいた福島の人たちは専門家と称するこの人物の安全・安心の言葉にすがり、放射能に対する警戒心を解いてしまった。
原発事故が発生すると、頼みもしないのに安全神話のほうからヘリに乗って君たちのところにやって来て、安全だ、安心だと耳元でささやき続ける。安全神話は君たちが勝手な真似をしないようにそれくらい君たちに関心がある。
3、二重の基準でくり返される「風評払拭」キャンペーン
漫画「美味しんぼ」では風評払拭にあれほど情熱を注いだ日本政府は、事故直後の山下俊一氏の「根拠のない噂」=風評に対し、自衛隊機に彼を乗せてやっても、注意を喚起するようなコメントは一言も発せず、貝のように固く押し黙り、これを追認した。
それどころか、 勇猛果敢にして荒唐無稽な山下発言による安全神話死守の成果に自信を得た日本政府が次にやったことは、一連の山下発言をモノサシにして、放射能(とりわけ内部被ばく)が健康被害にもたらす悪影響を懸念する見解を評価し、これを「根拠のない噂」=風評として抑圧・排除することだった。その著名なケースが、2014年5月、日本政府の閣僚と福島の自治体が一丸となって、目を見張るばかりの同時多発連携プレーをやってのけた漫画「美味しんぼ」の言論抑圧事件(※)である。
(※)「美味しんぼ」言論抑圧事件に対する私の見解は「自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する(2014.5.13) 」。
このとき、日本政府が取り組むべき最大の問題は次のことであった--放射能(とりわけ内部被ばく)が健康被害にもたらす影響はどのようなものであるか、もし影響の有無が科学的に解明されないとしたらつまり灰色の場合、いかなる対策を採るべきであるか、という論点を徹底的に解明することだった。その問題が解明されて、初めて何が「根拠のない噂」=風評なのかも明らかにされる。
しかし、この時、日本政府はこの肝心の問題を何一つ解明せず、その結果、何が風評なのかもひとつも定義しないまま、うやむやのうちに、言論抑圧にそれなりの成果をあげた閣僚たちや福島の自治体はその後一丸となって、ズルズルベッタリと貝のように押し黙ってしまった。
ところが、先頃、何も定義されないこの風評が再び登場した。2017年12月12日、日本政府は、復興の名のもとに、「風評払拭」を掲げる復興大臣の指示を出した。しかし、3年前「美味しんぼ」で日本政府は、何が「根拠のない噂」=風評なのか、それを定義するのを逃げた。逃亡して、何が「根拠のない噂」=風評なのか、科学的な説明ができないような日本政府に、「風評払拭」を口にする資格はない。「美味しんぼ」のときのように、閣僚たちが「風評払拭」を口にして放射能(とりわけ内部被ばく)が健康被害にもたらす影響を論じた表現の自由、学問の自由に介入することこそ、権力者による「根拠のない噂」=風評であり、やってはいけない人権侵害のお手本である。
本来の「風評払拭」は、何よりもまず「風評払拭」を口にする日本政府に向けられるべきである。
にもかかわらず、日本政府は、どうしても「風評払拭」を口にしたいのであれば、 まず、何が「根拠のない噂」=風評なのか、科学的な説明に基づいて定義してから口にすべきである。なぜそんな単純なことを実行できないのか。
その理由は、もし風評について科学的に明確な定義を下したら、山下発言に象徴される、日本政府がこれまで黙認してきたもろもろの「根拠のない噂」=風評にも手を下さざるを得なくなるからである。日本政府は、自分たちにとって不都合な見解・表現は「根拠のない噂」=風評として抑圧したいが、都合のいい見解・表現は黙認し、支援するという二重の基準(ダブルスタンダード)(※)を採用しているからである。
(※)二重の基準(ダブルスタンダード)をくり返し取り上げるのは米国の外交政策を一貫して批判するノーム・チョムスキーである。二重の基準が米国の外交政策の基本原理だからである。
アメリカの犯罪行為はどんなにひどかろうが、米国にとって存在しない。しかし、他国の犯罪行為は言語同断だ、と。
これは福音書が定義した偽善者のことである。なぜなら、偽善者とは「他の人に当てる物差しを自分にもあてることを拒否する者」と定義しているから、と。
そこで、以下、風評について、科学的に明確な定義の解明を実行しようとせず、風評について二重の基準を採用している日本政府に代わって、 何が「根拠のない噂」=風評なのか、科学的な説明にチャレンジしてみる。
これから論じるのは、例えば次のことである。
◎安全神話とは「危険性を示すデータが検出されていない限り安全である」とする誤謬のことである。
◎風評かどうかはリスク評価の問題である。
◎リスク評価の現実は、政治の問題であり、広告の問題である。
◎リスク評価が最も問題になるのは、科学の探求を尽くしてもなお、その危険性について確実な認識が得られなかったとき、つまり科学の力が尽きたところで「不確実な事態」をどう評価したらいいかという判断が問われる時である。だから、それは科学の問題というより、科学の限界の問題にほかならない。
◎科学の力が尽きたところで「不確実な事態」をどう評価したらいいかという判断で登場する最大の判断基準の1つが予防原則である。
◎なぜ、予防原則は世の識者から目の敵にされ、黙殺されるのか。それは彼らにとって不都合な事態を引き起こすから。
山下俊一長崎大学教授が自衛隊のヘリコプターに乗って長崎から福島まで駆けつけたは、原発事故による放射能汚染が進行する最悪な環境で、マスクもせず、外で自由に遊ぶ子どもが罹(かか)る病気を調査できるチャンスであり、このチャンスを生かすための画策だ。
返信削除彼の努力により、安定ヨウ素剤もの飲まず、マスクもせずに外で遊ぶ子ども(親も入るが)が罹る病気の調査データが得られる環境が設定できた。これは医学的には大変貴重なデータ収集環境になるが、満州で人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていた満州の第七三一部隊や、広島、長崎の原爆被災者の原爆傷害調査委員会(ABCC)が調査はするが治療はしなかった方針と一致する行為であり、被害者を増大させてしまう人体実験の強行の場の設定工作なのだ。
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「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。」
「皆さん、マスク止めましょう。」
「『いま、いわき市で外で遊んでいいですか』『どんどん遊んでいい』と答えました。」