しかし、正面から堂々とそれをせずに、なぜ、「風評」などというもって回った言い方で、「放射能による健康被害の危険性」を問題にする見解を「排除」(払拭)しようとするのでしょうか。
福島原発事故は日本史上最悪の人災であり、この経験で、それまで幅を利かせていた安全神話は崩壊しました。福島原発事故のあとでは、それまでの原発の安全性の考え方は通用しないのです。にもかかわらず、日本政府は、その悲惨な体験のあともなお、事故前と変わらず、「安全性」に対して、「放射能による健康被害の危険性」を問題にする見解を風評の名のもとにばっさり「排除」(払拭)しようとする根深い体質が依然根を張っているように思えてなりません。
「放射能による健康被害の危険性」を問題にする見解を風評の名のもとにばっさり「排除」(払拭)するのは、科学的な証明によるものではなく、その見解は間違っているという信念・信仰によるものです。だから、これこそ安全神話の典型です。つまり、風評払拭に励む日本政府は、原発事故後もなお安全神話にしがみついているのです。
ところで、そもそも安全神話とは何か。それは決して神話の世界のお話ではなくて、私たちの日常生活の中で原発事故前から馴染みのある言葉として登場し、流通しているものです。それがリスク評価(※)です。今回の復興大臣の指示にも「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」とリスク評価の基本単語が登場します。 安全神話の正体を知りたかったら、リスク評価の正体を知る必要があります。
そこで、以下は、
1、日本政府は、なぜ、福島原発事故という悲惨な体験のあともなお、それほどまでに安全神話にしがみつくのか。
2、 安全神話とは何か。言い換えれば、安全神話の別名であるリスク評価の正体とは何か。
について、検討したものです。
(※) 食品安全委員会の定義では、食品の健康に及ぼすリスク評価とは、人が食品中に含まれる添加物、農薬、微生物等のハザード(危害要因)を摂取することによって、どのくらいの確率でどの程度の健康への悪影響が起きるかを科学的に評価すること(食品安全基本法11条でいう食品健康影響評価のこと)。これによると、「放射能のリスク評価」とは、人が環境中の放射能を外部被ばくおよび内部被ばくすることにより、どのくらいの確率でどの程度の健康への悪影響が起きるかを科学的に評価することである。
***************
目 次
(その1)
(その2)
4、風評かどうかはリスク評価の問題である。
5、リスク評価の現実は、政治の問題であり、広告の問題である。
(その3)
(その3)
6、リスク評価が最も問題になるのは、科学の探求を尽くしてもなお、その危険性について確実な認識が得られなかったとき、つまり科学の力が尽きたところで「不確実な事態」をどう評価したらいいかという判断が問われる時である。だから、それは科学の問題というより、科学の限界の問題にほかならない。
7、安全神話とは「危険性を示すデータが検出されていない限り安全である」とする誤謬のことである。
(その4)
8、科学の力が尽きたところで「不確実な事態」をどう評価したらいいかという判断で登場する最大の判断基準の1つが予防原則である。
9、予防原則は世の識者から目の敵にされ、黙殺される。それはなぜか。彼らにとって不都合な事態を引き起こす。
7、安全神話とは「危険性を示すデータが検出されていない限り安全である」とする誤謬のことである。
(その4)
8、科学の力が尽きたところで「不確実な事態」をどう評価したらいいかという判断で登場する最大の判断基準の1つが予防原則である。
9、予防原則は世の識者から目の敵にされ、黙殺される。それはなぜか。彼らにとって不都合な事態を引き起こす。
0 件のコメント:
コメントを投稿